4日目 坂の街ポルト
2010年 05月 02日
泊まったホテルは、パリのibisと同じ系列のMercure。
立地とWiFi無料(フロントでIDとパスワードを発行してもらう必要あり)で探しましたが、物価の安いポルトガルでパリと同じ宿泊料だったので、豪華豪華。
到着は夜遅くでしたが、朝起きて窓から外を眺めると、目の前に世界遺産「ポルト歴史地区」の街並みが広がっていました。
ちなみに手前の大屋根は、ポルトガル国鉄のSAO BENTO駅。
ホテルを出ると、目の前にはアズレージョ(タイル)に覆われた教会がそびえていました。
この街は、アズレージョに覆われた建物があちこちに見られます。
坂を下っていくと、部屋のすぐ下に見えたSAO BENTO駅がありました。
この駅も歴史的建造物で、エントランス・ホールの大空間は、アーチ窓や天井の装飾も素晴らしいですが、やはり見所はアズレージョの大作。
歴史的な戦争の様子が描かれたタイルが一面に張られています。 見事!
タイル画のいわれとなる戦争の様子というかは、こちらをご覧ください。
せっかく駅に来たので、電車の写真も撮ってみました。
リスボンとを結ぶ長距離列車アルファなどは、ポルト・カンパニャン駅という旧市街から離れた駅に発着しており、旧市街にあるこのSAO BENTO駅には近距離列車しか来ないようでした。
よく見ると、コートともマントともつかない黒い上着には、たくさんのワッペンが貼られています。
いかにも観光客の東洋人とはいえ、うら若き女性の姿を真正面から撮る度胸はなく、横向いてたり、メール打ったりしているところですが、隠し撮りしている方が怪しいか・・・(苦笑)。
この尖塔がそびえる市庁舎の前では、同じ歌が何度も繰り返して合唱が行われていたので、合唱コンクールかとも思いましたが、後でホテルのフロントの(日本語の流暢な)方に聞いたところ、大学の卒業式だったようです。
しかも、1週間もお祭り騒ぎが続くとか(笑)。
市庁舎前広場の喧騒から離れて、また坂を上ると、ホテルの部屋からも望めましたが、クレリゴス教会の尖塔がそびえていました。
ポルト歴史地区を眺めるべく、この尖塔に登りました(お値段2.00Euro)。
すれ違うのも大変な細い階段を225段、ぐるぐる登ること5分ほどで、高さ75mあまりの塔の頂上へ。
塔の上は、柵の中をグルッと360度歩けるようになっていますが、やはりドウロ川のある方が見応えがありました。
オレンジ色の屋根瓦で統一された街並みが、いかにも歴史あるヨーロッパの街という感じです。
パノラマ風に動画も撮ってみました。
こんな風にプラプラしていると、お腹が減ってきました。
ちなみにこの日は日曜日で、飲食店も軒並み閉店・・・。
合唱(校歌斉唱?)は終わったようで、市庁舎前広場が空いてきたので、いかにも観光客相手のお店でお昼ご飯を食べました。
食べたのは、ヒレ肉を挟んだサンドイッチと、ビール(笑)。
ビール2杯込みで20.00Euro! まさに観光地価格。
お腹も満たされたところで、坂の街を実感すべく、細い坂を上ったり下ったり。
1速でも、エンジンブレーキでエンジンが唸りそうな急坂です。
車が通れる坂道ばかりでなく、さらに急な崖地には、家の軒先を通る階段道もあったりします。
生活している人は慣れているのかもしれませんが、急坂に不慣れな観光客向けになのか、フニクラ(ケーブルカー)が最近作られたようです。
キャビン下のジャバラ部が伸縮して、斜度が変わっても水平を保つようになっているようでした。
この急坂というか断崖なら、ケーブルカーの存在価値もわかりますよね。
こうして坂の下というか川岸に下りると、ポルトの主目的「ドン・ルイス1世橋」が登場!
前日見たエッフェル塔を作った、ギュスターブ・エッフェルの弟子に当たる技師テオフィロ・セイリグが設計して、1886年に架けられたそうですが、鉄骨橋は見事な構造美です。
アーチ上の上段はトラム(メトロ)と人が通行し、川面に近い下段を車(と人)が通行するようになっています。
橋をバックに記念撮影(三脚で)。
橋の辺りを行ったり来たり、登ったり降りたりしていると、だんだん日が傾いてきました。
左側の崖上にあるのは、修道院とか。
夜9時近くになって、やっと日が暮れ、ライトアップされた橋が夜の闇に浮かび上がりました。
ライトアップされたドン・ルイス1世橋を眺めながら、ビールを一杯。
ポルトガルではメジャーなのか、Super Bockというビールをよく見ました。
暖かいという予報の元、あまり厚着せずに寒空の下をウロウロしていたらすっかり冷え切り、屋外でのビールは辛くなったので、ホテル近くの軽食屋で豚肉挟みパンとビール。
本当はポルトガルらしい魚料理とか食べてみたかったのですが、メニューが読めず・・・(涙)。
もちろんこれでは足りず、ホテルの部屋でももう一杯(笑)。
(続く)
エッフェル塔よりも古いですね。
エッフェル社の社員だったのですかね。
電車の後ろに見える
SAO BENTO駅ホームの鉄骨もかなりのものです。
横浜のフランス山公園には、
パリ中央市場の鉄骨が飾られてます。
駅の壁画とか良いですよねぇ、にゃ本人はどうして母国の歴史を
否定するのだろう。
カリオストロ公国のような街に、クラリス王女は居ませんでしたか?。w
ところで前日の飛行機から食べ物が肉挟みパンとビールばかりですね。野菜不足やで!
気にしていませんでしたが、エッフェル塔は1889年のパリ万博で建てられたようですから、確かにこちらの方が古いのですね。
この技師については、英文だと検索できるのかも知れませんが、私のようなガイドブックの受け売りしか見あたらないんですよねぇ。
東京駅もそうですが、ホーム屋根の鉄骨柱は、意外と凝っていますね。
パリ中央市場の鉄骨は、フランス山公園の所以なのでしょうか。
>>COOPER99さん
望遠レンズがあれば、もっとおねいさんショットを狙えたんですが(笑)。
日清・日露戦争の頃の建物には、そんな雰囲気を伝える絵画が飾られていたりしますが、壁画とかタイル画とかまでは見たことないですね。
キキ(魔女の宅急便)みたいな女の子は見ましたよ(笑)。
私も調べて初めて知りましたが、橋って日本でも小さなものまで意外としっかり名付けられているんですよね。
2日間で計3往復しましたが、対岸からの眺めは5日目でご紹介します。
フニクラは有料(1.00Euro弱)のようでしたが、アンダンテ・カードというフリーきっぷで乗れました。
好き嫌いが多いんで、海外に行くとホントに野菜不足になるんですよねぇ。
ROYさんは、どうやって摂ってますか?