出張ついでに(大阪編1)
2012年 03月 08日
金曜日に出張が絡めば、ということで、恒例の「出張ついでに」シリーズです。
今回は往きの交通手段から。
水曜日の21時ごろ、新潟の職場で仕事を終えて、新潟駅に向かいました。
22時半頃、新潟駅で待っていたのは、寝台電車583系。
大阪と新潟を結ぶ寝台急行列車「きたぐに」号です。
583系は、もともと寝台特急と昼行特急の兼用の電車として、昭和43〜47年に掛けて作られた車両でしたが、製造から30年以上経ったころからは、寝台急行や臨時列車に使われてきました。
以前乗った419系(既に廃車)は、この583系を改造した普通電車でした。
現在は、定期列車としてはこの「きたぐに」号だけに使われていましたが、3月17日のダイヤ改正で廃止(臨時列車化)されることになってしまいました。
ということで、ちょうどいい機会なので、乗り納めも兼ねて出張に向かったのでした。
乗ったのはB寝台で、今まで乗ったことがある寝台特急はみな2段寝台でしたが、3段寝台は初体験(多分最初で最後)でした。
しかもプルマン式と呼ばれる、進行方向に頭か足を向けて寝るタイプも初めてでした(国内は、進行方向と直角に寝るタイプが大多数)。
空席があることは確認しつつも、乗車直前に予約したので、取れたのは狭い上段。
寝台幅は70cmと何とか寝返りが打てる程度はありましたが、頭上高は70cm弱で座ることはおろか、満足に着替えることもできません。
ただ、中段だと上にも下にも人が寝ていて圧迫感がありそうだったので、上段にしたのでした。
さすがに、寝台上段では飲めなそうだったので、自由席に移動して、夕食を兼ねて一杯。
1時間少々で2本飲んで、ハシゴで上段に昇って、眠りにつきました。
飲んでいい気分になっていたはずでしたが、いまいちよく寝られませんでした。
朝6時に車内放送が入って目が覚め、朝7時前に大阪駅到着。
大阪駅そばのファストフードで朝食を食べながら、行き先を定めて、12時過ぎに新大阪駅という集合時間までしばしお散歩。
阪急宝塚線に乗って北上。
向かったのは、池田市。
今はダイハツの企業城下町のようですが、以前から商業が盛んだったようで、古い銀行建築が3件も残っていました。
まずは旧池田銀行本店として建てられた池田泉州銀行池田営業部で、大正〜昭和初期に建てられた列柱が並ぶ銀行らしい建物ですが、実は戦後築(昭和27年)とか。
お次は、大正14年に建てられた旧池田実業銀行本店。
現在は、起業間もない企業を支援する意味でテナントとして入居させている、池田ピアまるセンターとして使われています。
館内を少し見せてもらいましたが、太い梁で高い天井を支えていました。
天井蛇腹や梁に控えめに装飾がされていたのも、好感が持てました。
銀行の最後は、大正7年に建てられた旧加島銀行池田支店。
基本構造は木造ということですが、正面はレンガと石で構成された辰野風と思ったら、何と辰野片岡建築事務所の作品。
確かに左側の銅板葺きの飾り屋根も、辰野式の雰囲気十分ですね。
北九州市の旧百三十銀行の雰囲気に似ていなくもないような。
当初は吹き抜けだったのかも知れませんが、館内は鉄骨で補強(?)されて2階床板が張られ、現在はカーペット等を販売する河村商店の店舗として営業しています。
と、銀行建築はちょっと意外な収穫でしたが、本当の目的は小林一三記念館。
山小屋風ハーフティンバーの建物は、阪急グループの創業者である小林一三の邸宅として、昭和11年に建てられました。
以前は逸翁美術館として使われていたり、レストラン雅俗山荘としても使われていることもあってか、館内はかなりキレイに補修されていました。
新潟を朝発った同行者と合流するべく、阪急電車で再び大阪市内に戻ったものの、新幹線の遅れで同行者は現地に直行するとのことで、昼食も一人で。
ウロウロした挙げ句、大阪らしくお好み焼きのランチをいただきました。
テーブルにある鉄板で店員さんが焼いてくれて、大阪らしくこれにご飯と味噌汁が付きました(笑)。
2時過ぎに同行者と合流して、5時過ぎまで取引先との打合せ。
その後、同行者の中で大阪に詳しい者に連れられて通天閣へ。
何度か大阪に来ていながら、テレビで見たことはあっても、見るのは初めてでした。
高さ100mということで、それより高いビルが林立する大阪では、眺望はイマイチ。
ビリケンさんも初めて見て触ってきました。
夕食というか、串カツやらをつまみに、同行者と居酒屋へ。
途中、「くいだおれ太郎」も初めて見ました。
同行者4人のうち2人は別行動へ、私とビール党の若手と2人で2軒ハシゴ。
生ビールと焼き鳥5本で650円、生ビールをもう1杯飲んでも一人1,000円弱。
安かったなぁ。
一軒目の居酒屋から三件目の焼き鳥屋まで生ビール8杯、部屋に戻って缶1本。
よく飲みました・・・。
(続く)
見覚えのある雲雀丘花屋敷行の電車の画像に驚きましたが、そちら方面にお仕事かと思い、どこの会社に御用かと考えてしまいましたがお約束の「ついで」でしたか。(実際は淀屋橋でしょうか?)
実は通天閣には上ったことがありません。近くは何回も通りがかっているのですが。観光名所に限って近くの人は行かないという例でしょうか・・・。
事前予約の時間があればパン下の中段がBestだったのでしょうが、屋根形状そのままの上段もいい経験になりました。
小窓からの眺望(ほとんど見えず)も含めて・・・(笑)。
ご出身エリアと思いつつ、今回も私の訪問先は地場の部品メーカーでした。
通天閣は、東京人が東京タワーやサンシャイン60に昇ったことがないのと同じなのでしょうが、上京友人を案内しつつ昇るのもいい経験だったので、大阪案内しがてらぜひどうぞ。
遅ればせながら・・・・。
急行「きたぐに」のご乗車、羨ましい限りです。
私も好きな583系、2年前に念願かなって磐越西線で
乗ることができたのですが、「きたぐに」はいつか乗って寝台を味わってみたいと思っていました。
ここ最近、”味のある”車輛がどんどん無くなってしまい寂しい限りですね。
私も乗りたいと思いつつ、ずっと乗れずにいて、最後の最後で何とか乗ることができました。
プルマン式の3段寝台は、本当に狭かったですが(笑)、いい経験になりました。
でも、座席とはいえ、青とクリームの原色車に乗られたのはうらやましいです。
味のある車両・・・、何が残っていますかねぇ。
確かに思い浮かばないです。
維持するのも大変なのでしょうが、乗る目的にもなるのでしょうから、細々とでも走らせ続けてもらいたいものですね。
結局一度も乗らず仕舞いでした。
今後も車両は見られますが(近所ですので)
夜行列車がほぼ壊滅状態ですが、よく考えたら私も社会人になってから夜行に乗った事は一度もありませんから時代の流れと言われればそうなのでしょうが、事業者に残す意欲も見えませんでしたから・・・
効率化を求める民間企業だと考えたら致し方ないんですかね。
今朝の到着場面しかり、スゴイことになっていたのでしょうね。
朝出ても主要都市間は新幹線や飛行機で10時頃には着けるようになったものの、大阪〜新潟は数少ない穴で、取引先も利用していたようなので、そこそこ乗っていたのかも知れません。
働いて18年で「あさかぜ」「サンライズ瀬戸」「あけぼの」「北斗星」「きたぐに」と5回乗りました(+海外で4回)が、仕事では2回のみ。
出張するときは、夜行列車を使ってまでの計画は立てませんよね(道楽者を除いて・・・苦笑)。
夜行列車は運行距離が長いので、1社だけの判断でなく、2社3社と絡むのがややこしいのでしょうかねぇ。
カシオペアに対する蝦夷屋猫七さんの計算を参考に、計算してみると。
7両×4編成×1両3億円=80億円(サンライズの交直流版を想定)
客単価1.5万円×定員150人×乗車率50%=1運行の収入110万円
110万円×往復×365日=年間収入8億円
10年ぐらいで車両原価の元は取れて、20年ぐらいの車両寿命なら、運行経費やメンテナンス費用も出そうな気がするんですが・・・。
寝台列車を利用したことがある人って、少ないのかもしれませんね。
そもそも、旅行や出張で利用しようという考えが浮かばないですよね。
ピンク色のカーテンがいかにも昭和ですし、旅情というのでしょうか、交通手段も旅の目的になる、いい乗り物でした。
3段寝台(昨日で絶滅)はともかく、2段寝台ならそこそこ広いですし、北海道へお出掛けの際は、ぜひ利用してみてください。
さらに食堂車で飲んだりすると、本当に優雅な気分になれますよ(笑)。