幌馬車2台の道楽日記

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Peugeot306CabrioletとPorscheBoxster987のオープンカー2台生活だったのがBoxsterを手放したので本当は1台だけ、といいつつただの旅日記かも

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紀伊四国中国の洋館探訪(紀伊編)

すでにGWが終わって10日ほど経ってしまいましたが、GWの旅行記を。
私は暦通りの休みを、5/1・2に有給休暇を入れて9連休にしました。
相方は休日仕事が多いので、一昨年去年に続き、気ままな独り旅です。


【4月30日(月休)】
4/28・29は自宅でノンビリして、4/30の明け方4時半に出発。
首都高と東名高速を通って御殿場に向かい、お約束の新東名高速へ。

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先に通った方々のインプレどおり、スピード感がない、3車線分を2車線しか使っていないので路肩が無駄に広い、継ぎ目のショックが少ない、など走るのはとても楽でした(眠くなるほど)。
ただ、朝7時・8時でもSAはどこも「混雑」の表示が出ていて、PAで休憩しましたが、それでも普通のSA並みの設備(お店など)が整っていました。

浜松いなさJCTまで全区間走って、三ケ日JCTから東名に戻って西進。

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さらに豊田JCTから伊勢湾岸道に乗り換えて、伊勢道の津ICを出たのは12時ごろ。


津市で見たのは、大正14年に建てられた阿漕教会
萌黄色に塗られた下見板張りの建物は、窓枠は茶色く塗られ、鐘塔を備えており、楽廊への階段と思われる部分には尖頭アーチ窓を備えていました。

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続いて向かったのは、伊勢神宮の門前町である伊勢市。
旧参宮急行・宇治山田駅として昭和6年に立てられた駅舎で、吸収合併を経て、現在は近鉄の宇治山田駅として使われています。
出入口周りや軒下にテラコッタで装飾され、塔屋を備えたタイル貼りの建物は、国の有形文化財として登録されています。
伊勢うどんを食べにすぐ隣の伊勢市駅まで来ていたものの、見たのは初めてでしたが、この地にこの規模の高架駅が戦前に建てられていたとは驚きでした。

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伊勢市からひと山越えて、熊野灘に出て見たのは、南伊勢町五ヶ所浦にある楓江館。
大正2年に旅館として建てられたようですが、現在は営業しておらず、個人住宅として使われているようです。
灯台のようなドームを備えた白亜の建物ですが、志摩半島らしい入り組んだ入り江の五ヶ所浦にありながら、海には面しておらず、五ヶ所川の河口に面しています。

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五ヶ所浦から、熊野灘に沿って国道260号と42号をひた走り、日暮れ間際にたどり着いたのは、向栄館とも呼ばれる海山町郷土資料館
両翼が張り出した左右対称(厳密にはちょっと非対称?)の建物で、郷土資料館という用途から、てっきり旧役所建築かと思っていましたが、林業家・松永氏の自邸別館として明治43年に建てられたそうです。
一般に公開されているはずですが、時間が遅く、見られたのは外観のみ。
こちらも、国の有形文化財として登録されています。

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国道42号をさらに南下して、日本一の多雨地域である尾鷲市で土砂降りの雨を受けながら、熊野市へ。
伊勢市を出る前にネットで予約していた、今宵の宿ビジネスホテル河上着。

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8時過ぎに着いたのですが、熊野古道の玄関口の一つと言われながら、観光客はホテルや旅館に取り込まれてしまうのか、観光客が入れそうな飲食店は、駅前の大吉(焼き鳥屋)のみ。
さんま寿司など地の食べ物もあったようですが、断念。
やむなく、スーパーでお惣菜を調達して、ビールで軽く晩酌のみ(涙)。


【5月1日(火)】

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翌朝は8時ごろホテルを出て、駅前でさんま寿司を執念でゲット。
この夜に食べたさんま寿司は、いい感じに締まっていて、ビールの肴に合いました。

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さらに国道42号を南下して、新宮川を越えて和歌山県へ。
和歌山県東端の新宮市には、世界遺産・熊野古道の登録箇所の一つ、熊野速玉大社があり、旅の安全を祈念しました。

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新宮市は、建築家・西村伊作の出身地だったようで、大正3年に建てられた旧自邸は重要文化財に指定され、西村伊作記念館として公開されています。
が、月曜と祝日翌日は休館という原則に従って、GW中ながら休館していました(涙)。
日本の中でも雨が多く強い地域に備えて、軒下に長く延びたベンガラ色のヒサシで、漆喰壁を守っているようです(館内も見たかったなぁ)。

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西村伊作は地元に多くの建物を残したようで、那智勝浦町には日本基督教団紀南教会が残っています。
大正14年に建てられた教会堂は、国の有形文化財として登録されています。
派手さはないですが、三角妻の一部を寄棟のように閉じているのは、自邸同様に雨じまいのためなのでしょうか。

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さらに南下して、海辺から古座川を少し遡ったところに建つのが、芳流館互盟社の建物。
「互」のマークを掲げたポーチは、半円の土台の上に建てられていました。
引戸が少し開いていて、中を覗いてみると、講堂のような広間になっていました。

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紀伊半島最南端の串本町を越え、今度は北上を始めて、田辺市へ。
以前、和歌山市から田辺市までは来たことがあったのですが、車でグルグル探し回ったものの見損ねていた建物があったもので。
駐車場に車を停めて、歩いて探すこと30分ほど、細い路地で目当ての建物を見つけました。
大正時代に長井邸として建てられ、その後は赤別荘という旅館として使われていたようですが、現在は個人住宅として使われているようです。
屋根裏も含めて3階建ての大きな建物は、構造材を露出させたハーフティンバーで、壁はザラついたモルタルのドイツ壁で仕上げられていました。

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田辺市からは、阪和自動車道で一気に和歌山市へ。
カフェやギャラリーとして公開されているおのまちαへ。
昭和2年に旧西本組本社として建てられた鉄筋コンクリート造り3階建ての建物は、国の有形文化財として登録されています。

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角地に建っていますが、正面と右側面と背面は下部は石造り風で上部はタイル貼りと手が込んでいるのに、道路に面した左側面はモルタルのまま、というのが面白いというか変わっています。

1階のフロアには、石貼りの床の入口から段差を上がりますが、事務所ながら取引先が多く訪れる、銀行の営業室のような使われ方だったのでしょうか。

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2階にあるカフェで、プリンやマカロンとコーヒーで、朝食以来の休憩。
ちょっと落ち着きました。


和歌山市内で何件か見て、向かったのは和歌山港。
南海フェリー乗り込みました。

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夕暮れの和歌山港を出航して、徳島港まで約2時間。
306でフェリーに乗るのは何度目か。 6・7回目かなぁ。

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徳島到着から、次回「四国編1」に続きます。
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Commented by beige_versailles at 2012-05-20 12:46
うちの近所が最初に出てきてびっくりしました。
(学区は隣ですが、充分歩いていけます)

宇治山田駅は、子供の頃からよく知っていて、
それに通勤に都合9年利用した駅なので思い入れもあります。
実は昔、鳥羽線が開通していなかった頃、
特急接続のバスがホームまだ直接乗り入れていて、
ホーム横に、そのターンテーブルがまだ残っています。
ご存知でしたか。
Commented by okuruma1970 at 2012-05-20 15:13
>>beige_versaillesさん
キリの距離の地点記録でこのエリアが多いので、近くにお住まいなんだろうなぁなんて思っていました。
最近はナビ頼りで見て回っているので、良くわからないまま着いてしまうのですが、落ち着いた雰囲気の地区でしたね。
宇治山田駅には行き止まりホームとバス用スロープ跡があるとWikiで見ましたが、ターンテーブルまで残っているとは知りませんでした。
入場券を買って、入ってみれば良かったです。
そういえば、その昔、渋谷駅にバス用のターンテーブルがあったなぁ。
Commented by gop at 2012-05-22 05:31 x
西村伊作と言えば文化学院、和歌山の方でしたか。

宇治山田〜伊勢市辺りは参宮線SL健在の頃良く行きました。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2011-10-06
明治村には宇治山田郵便局が移築してありましたっけ。
http://www.meijimura.com/visit/s46.asp
Commented by okuruma1970 at 2012-05-22 22:46
>>gopさん
西村伊作は旅の下調べで知ったようなものでしたが、文化学院も西村伊作でしたか。
伊勢への鉄道は、国鉄(当時)と近鉄の力の入れようが対照的でしたが、そのおかげでSLが遅くまで残っていたのかもしれませんね。

明治村の旧宇治山田郵便局はドーム天井の客溜りが素晴らしい建物ですよね。
その分室が今も伊勢市にあり、フレンチレストランとして使われていました。
 http://www.bonvivant1983.com/
時間があれば・・・(涙)。
Commented by ROY at 2012-05-23 21:10 x
新東名は時間帯が早かったからなのか、あまり車の台数も多くないんでしょうかねえ。二日間で紀伊半島を半周して和歌山まで行かれたというのが、やはりご健在のようで・・・。宇治山田駅は知る人ぞ知る、ですよねえ。伊勢神宮へ近いということで、当時は相当の気合いが入っていたものと思います。
Commented by okuruma1970 at 2012-05-23 22:47
>>ROYさん
先日はお疲れさまでした。
新東名は、東名の通行量の半分が移ったとしても、キャパシティーは余裕なのでしょうが、SA・PA目当ての利用客が多いようで、通行量に反してSA・PAはかなり混んでいました。
紀伊半島を海沿いに走っても4~500kmぐらいでしょうから、普通なら1日で十分走れそうですが、2日かかったのは寄り道と険しい地形ゆえでした。
民鉄から見れば国鉄(鉄道省?)は雲の上の存在だったのでしょうから、対抗すべく気合の入れようが想像できますね。
事実、伊勢市駅との差は、その気合を表わしていました。
by okuruma1970 | 2012-04-30 12:00 | 洋館探訪記 | Trackback | Comments(6)