幌馬車2台の道楽日記
2024-03-16T08:18:27+09:00
okuruma1970
Peugeot306CabrioletとPorscheBoxster987のオープンカー2台生活だったのがBoxsterを手放したので本当は1台だけ、といいつつただの旅日記かも
Excite Blog
小田原の洋館探訪(前編)
http://okuruma.exblog.jp/29951054/
2024-03-16T07:00:00+09:00
2024-03-16T08:18:27+09:00
2024-03-10T16:16:44+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
自宅を出て東京駅に向かい、東海道線に乗り換えて各駅停車でテレテレ小田原へ。
小田原駅東口駐車場でレンタサイクル(1日500円)を借りて出発。
国道1号線を西に向かうと、お城(?)がありますが、初めて立ち止まって見ました。
外郎(ういろう)さんが500年以上前から営んでいるういろうというお店で、お菓子のいわゆる「ういろう」とともに、薬の「ういろう」も製造販売しています。
ちなみに、建物は数百年の歴史があるわけではなく、江戸時代の絵図を基に、平成9(1997)年に建てられたもののようです。
国道1号をさらに西に進むと、箱根口ガレージ報徳広場というレストランやカフェなどがある広場に、路面電車が展示してありました。
調べてみると、明治時代に東海道本線が国府津から現在の御殿場線経由で静岡方面に向かったため、街に人の流れを作ろうと、国府津〜小田原〜箱根湯本間に路面電車(当初は馬車鉄道)を運行させたそうで、その後、鉄道の開業とともに徐々に区間短縮されて、最後に残った小田原〜箱根板橋間は昭和31(1956)年まで運行していました。
展示してある202型という電車は、昭和27(1952)年〜31(1956)年の間、小田原市内で運行された後、長崎電気軌道に譲渡されて運行されていましたが、廃車になるところを、小田原の有志団体が資金調達して里帰りさせたということでした。
洋館探訪記といいつつ、お城のような建物や路面電車の話を書いてしまいましたが、さらに西に進むと、Antica Trattoria L'OFFICINA DEL CIBOというイタリアンレストランがありました。パラペットの装飾やメダリオン、窓の庇など手が込んだ建物に、ノーチェックながら目に留まりましたが、ネット情報では大正14(1925)年に建てられた元洋品店とか。
予約制と書いてありましたが、ランチでも3300円!
さらに西に進むと、片野呉服店というお店があります。
看板建築のように見えて、正面だけでなく、側面もモルタル壁で覆われているようです。
1階店舗部の左側にはショーウィンドウがあり、その下部はタイル貼りになっていて、2階の上げ下げ窓の周りに貼られたタイルと同じようです。
また、店舗開口の上部は細かく桟で仕切られたガラスの明かり取りになっていて、さらにその上には3連アーチのモルタル細工が施されています。
ガラス越しに店内を覗いたところ、三和土の奥に畳の小上がりがある、いわゆる呉服店のイメージそのものでした。
歩道橋を隔てて通りの向かいに、雰囲気ある建物がありました。
建物両側には縦筋を入れた柱状の装飾があり、その間をアーチ状にパラペットを立ち上げて、「sibata syoten」(柴田?商店)と綴られています。
2階には縦長窓を3本並べて、その縁取りが3連アーチを描いています。
片野屋呉服店や柴田?商店がある辺りは早川口と呼ばれ、山沿いを箱根に向かう国道1号線と、海沿いを熱海・伊豆方面に向かう国道135号線の分岐点です。
歩道橋の昇り口に「小田原駅前跡」の石碑がありましたが、先に書いた路面電車から、熱海に向かう人車鉄道(のち軽便鉄道)の乗換駅があったようです。
国道135号線を進むと、早川漁港があります。
Boxster購入直後の2005年(19年前!)に、この漁港の市場食堂に来たことがありましたが、今回は市場の外にある海鮮食堂で昼ご飯。
1階は海鮮食堂が並ぶ小田原水産会館という建物の角にある、めし家やまやでいただきました。
平日でしたが順番待ちの列があり、20分ほど待ちました。
海鮮どど丼(海鮮丼)とあじフライのサービスセットを注文。
カウンター十数席ほどで後ろにスペースがない狭い店内でしたが、4人の店員さんがカウンターの目の前で作っていました。
切り身がギッシリ載った海鮮丼はプリプリで美味しかったですし、あじフライは身がふっくらしていて、これで2,100円+税を、安いと見るか、観光地価格と見るか・・・。
ちなみに、おつまみになる単品もあったので、自転車でなければビールを飲みたいところでした。
お腹も満たされたところで、早川を遡り、国道1号線の箱根板橋駅前へ。
昭和3(1928)年に大窪村役場として建てられた木造下見板張りの建物があります。
小田原町と合併した昭和15(1936)から、平成31(2019)年まで小田原市役所大窪支所として使われた後、令和4(2022)年からはOTA MOKKOの工房兼店舗として転活用されました。
四角四面の造りで見所は少なく、屋根上にある三角形の屋根窓と、玄関ポーチぐらいです。
窓枠は交換されたようですが、外壁には凸凹が見られるので、使える部材は再活用していそうです。
さらに国道1号線を箱根方面に進み、風祭駅そばにある国立箱根病院へ。
木造2階建ての建物は、昭和11(1936)年に傷兵院本館として建てられました。
外壁は1階が下見板、2階と車寄せがモルタルか漆喰壁になっていて、上部に採光と換気を兼ねた窓が付いた縦長窓を並べています。
左右対称のようで、車寄せが少し右側に寄っていますが、少し傾斜した敷地に立っていて、左側の方が傾斜路の長さが必要だったからかな。
車寄せは柱で支えるタイプではなく、3面にアーチの開口が開いた造りになっていて、下部が石貼りになっていることもあり、木造ながらガッシリした造りです。
赤い鉄板葺きの屋根に、銅板葺き四角錐の塔屋が控えめに載っています。
風祭から小田原方面に戻り、箱根板橋の旧道に入ると、国の登録有形文化財の旧内野醤油店があります。
明治36(1903)年に建てられた木造漆喰壁の建物は、1階の両脇や2階の右端を、平瓦の間を漆喰で盛り上げた「なまこ壁」としているほか、1階右端にはアーチの開口を設けています。
2階窓には金属柵に加えて銅板の防火戸を備え、また1階開口部も防火戸を引き込んでありそうな雰囲気です。
邸内も凝った建具など見所が多いようで、既に小田原市の所有となっていて、旧大窪村役場のように、民間による転活用に向けて調査しているようです。
箱根板橋の旧道をさらに小田原方面に戻ると、昭和7(1932)年ごろに建てられたという旧朝倉邸があります。
玄関ポーチを備えた木造モルタル壁の左右対称の建物で、1・2階とも上げ下げ窓を並べています。
現在は薬膳喫茶KURAとして、飲食店の営業をしていて、照明基部や天井蛇腹などが漆喰で装飾されているようなので、次回は時間を確保して、食事かせめて喫茶利用してみたいものです。
軒下の隅にはイオニア式柱頭を模した装飾が施され、三段の軒蛇腹とその下にも櫛桁が連なっています。
また玄関ポーチを支える円柱にはコリント式の柱頭が見られましたが、玄関ポーチの軒が深く、柱頭が少し隠れてしまっていました。。
半分ぐらい書いてきて疲れたので、続きはまた次回にしたいと思います。
(続く)
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川越の洋館探訪
http://okuruma.exblog.jp/29883676/
2024-02-17T07:00:00+09:00
2024-02-24T23:02:27+09:00
2024-02-17T01:01:39+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
行ったのは、蔵の街として有名な埼玉県の川越市。
西船橋から武蔵野線でグルっと周り、北朝霞駅で東武東上線・朝霞台駅に乗り換えて川越駅まで。
自分の感覚では、武蔵野線から東武東上線に乗り換えというコースは考えもしませんでしたが、未知のエリアに行くときは、検索サイトに従うことが多いです...。
往きは電車の写真もなく、川越駅で降りて、シェアサイクルでも借りようかと思いましたが、三連休だからか、貸し出し可能台数は軒並み0。
やむなく、川越市役所の前まで、30分ほど歩きました。
川越市役所の前にあるのが、手打ちそば百丈。
昭和5(1930)年に湯宮釣具店として建てられた木造3階建ての建物は、国の登録有形文化財です。
木造ながら、火災の延焼を防ぐことに加えて、商店の宣伝として装飾的要素も兼ねて、正面と両側面の外壁に銅板を張った看板建築です。
左下が3階窓で、窓上にアーチ状の水切りを設けていて、その間はファンライトのように銅板を貼っています。
窓の外枠を銅板で盛り上げて囲っていますが、桟を見てもどう開くかわかりませんね。
右下の2階窓は水切りは台形状で、その両側を円柱状に盛り上げていて、両開き窓と上部もスライドして開きそうです。
ちなみに、右側面の3階には、出自を物語る銅板細工の「つり具」の文字が残っていました。
手打ちそばのお店ということで、あめ色になった店内に期待しながら店内でいただきましたが、そば屋転用時かその後にリフォームしたのか、90年以上経つ店舗ながら、白木がきれいな店内でした。
11時の開店に合わせてお店に入り、もりそば800円の大盛り(+330円)でブランチ。
蕎麦はシコシコでおいしかったですが、つゆの出汁が出ていないのか、そばにつゆの味があまり付かなかったのがちょっと残念。
手打ちそば百丈のそばの路地を入ると、洋食屋のモダン亭太陽軒があります。
昭和4(1929)年頃に建てられた木造モルタル壁の建物は、国の登録有形文化財です。
外壁はシンプルですが、角にアーチ状の出入口を設けて円形の庇を出しているのが一番の特徴ですが、庇の上には珍しい四分円の窓やその間を縦に貫く円柱があり、また窓には色ガラスがはめ込まれていました。
今は角の出入口は閉めきっているようで、正面中央のアーチ開口の扉から出入りするようでした。
この奥を左に進むと、川越観光で有名な時の鐘がある「かねつき通り」に出ます。
三連休だからかいつもなのか通りは賑わっていて、昼時なのでいたる飲食店には観光客が並んでいる盛況ぶりでした。
さらに、蔵造りの街並みが続く一番街商店街も、車道にはみ出んばかりのすごい人通りで、バスが走るのに苦労していました。
蔵造りの商家はあまり興味はなく、行列が連なる飲食店や土産物店の前もそそくさと通り抜けて行きました。
川越にある洋風建築の華である旧八十五銀行本店は、2020年まで埼玉りそな銀行川越支店として使われていましたが、今春オープン予定の地域振興拠点への転用に向けて工事をしているようでした(左下写真)。
右下写真が現役当時というか工事をしていない本来の姿で、大正7(1918)年に建てられた鉄筋コンクリート造タイル貼りの建物は、国の登録有形文化財です。
第八十五銀行の並び、法善寺の入口に聞信会館というモルタル壁の建物がありました(写真は参道から見た側面)。以前に撮った写真には「きんかめ」とあり、金亀時計店というお店だったようです。
そのはす向かいあたりには、昭和7(1932)年に建てられたという一番街洋風長屋がありました。
元から奥の建物まで商店だったかわかりませんが、通りから奥に伸びる長屋というのは、初めて見ました。
アーチ状のパラペットの両側に縦筋の入った装飾があり、四角い窓のほか、アーチの水切りがあるものもありました。
その並びには、保刈歯科医院があります。
昭和11(1936)年に山吉デパートとして建てられた鉄筋コンクリート造の建物は、旧第八十五銀行本店と同じ保岡勝也によって設計されたものです。
2階から3階にかけて4本の列柱を立てて、2・3階間の内側2本の間にはレリーフがモルタル細工で施されています。
1階の出入り扉やショーウィンドウの上には、扁平アーチ状のステンドグラスがはめ込まれていて、診療日に入ってみたいと思ってしまいましたが、休診日は店舗前に露店を出していました。
現在の歯科医院は、山吉デパートを営んでいた呉服商・渡辺家の子孫の方が診療しているそうです。
その隣には、喫茶のほか川越の地ビールCOEDOビールもいただける、カフェ エレバートというカフェ・バーがあります。
この建物は大正4(1915)年に桜井銃砲店として建てられた木造モルタル壁の建物で、当初は鉄砲のほか輸入自転車も扱っていたようです。
1階は右側にショーウィンドウ、左側にアーチ開口の出入口があり、アーチにTRADE MARKの文字の間に「田」の字をデザインしたマークが浮き立っていて、屋根上のパラペットにも右から「田中屋」と記されており、市指定有形文化財の名称は田中家住宅となっています。
2階の窓周りにはアーチの飾り縁があり、また窓の間には丸い付け柱が立ち上がっています。
仲町交差点に秀月モリヤという看板が掲げられた建物が気になりました。
すぐ並びに同名の店舗があるので、「秀月モリヤ」は単なる看板と思われますが、横掻きのスクラッチタイルに窓上の緑青銅板(?)の縁取り、緑の屋根瓦など、いい雰囲気でした。
2階部分を見るだけでは修復して使えそうですが、1階部分を見ると厳しいかなぁ。
川越駅から続くクレアモール(川越新富町商店街)が蔵造りの町並みに突き当たる角に、川越商工会議所があります。
昭和3(1928)年に武州銀行川越支店として建てられた鉄筋コンクリート造の建物は、国の登録有形文化財です。
角地に立ち、斜めに落とした角部に出入口を開けて、通りに面した2面に列柱を並べた、いかにも昭和戦前築の銀行様式ですが、軒下にメダリオンを並べ、その仮面には花模様を並べるなど、堅さを和らげる装飾も施しています。
1階と2階と階高が異なっているようで、1階は営業室らしく天井高が高くなっていますが、吹き抜けではないようです。
蔵造りの街並みから一本入った住宅街に、中成堂歯科医院があります。
木造下見板張りの建物は、大正2(1913)年に中野歯科医院として建てられました。
ハーフティンバーのような構造材や窓枠部と下見板を緑色の濃淡で塗り分けていて、窓下は白漆喰(?)に×の装飾があります。
屋根はスレート葺きで、開口はないものの三角窓が立っていて、右手張り出し部の庇にはアーチ状の開口があります。
中成堂歯科医院のはす向かいあたりに、旧山崎家別邸の入り口があります。
第八十五銀行の創設にも関わった老舗菓子舗「亀屋」の5代目隠居屋として、大正14(1925)年に建てられました。
日常使いの玄関は和風で、長い磨き丸太の梁など良材を使った和館です。
ただ、この時期の富豪邸には洋館併設の邸宅が多く、このお屋敷も洋館を併設していました。
洋館部分にも大きな庇が伸びた玄関がありますが、外に鍵穴がなく、来客用だったようです。
外壁はモルタル塗の木造2階建てで、2階窓は上げ下げ窓になっています。
玄関左上の縦長窓は階段部分で、踊り場には見事なステンドグラスがはめ込まれていました。
強度に課題があるのか、補修が行き届いていないのか、はたまた管理人の目が届かないからか、残念ながら2階には上がれず、このステンドグラスを間近に眺めることはできませんでした。
また、食堂(メインダイニング)と準備室の間にある食事の提供口にも、ステンドグラスがはめ込まれていました。
ちなみに、この建物は旧第八十五銀行本店や山吉デパートと同じ保岡勝也の設計によるもので、国の重要文化財です。
最後に、クレアモール(川越新富町商店街)を川越駅の方に歩くと、シマノコーヒー大正館があります。
木造モルタル壁の建物は、昭和8(1933)年に呉服店として建てられました。
2階は開き窓の上にアーチの装飾窓枠があり、その間には丸い付け柱を立てていて、軒蛇腹を巡らし、窓部分は他の部分よりせり出させて、より雨が差し込みにくくしています。
川越駅到着は10:40ごろでしたが、滞在3時間弱、本川越駅発13:34発の特急小江戸号で帰途につきました。
西武池袋線系統は新型特急Laview(001系)に置き換えられていますが、西武新宿線系統は30年選手のニューレッドアロー(10000系)で運行されています。
調べると、この本川越駅2番線(特急用)が7両分の長さしかないため、少なくとも現状では8両編成のLaviewに置き換えられないのだとか・・・。
特急料金が必要な特急電車なので、テーブル付のリクライニングシートですが、平成5(1993)年登場の30年選手の車内は少し時代を感じます。
私鉄の特急料金といえば、300円か400円ぐらいと思っていたら、40分余りの本川越~西武新宿で600円もしました。
2号車に乗ったのですが、主制御器真上の席だったようで、カムがカラカラ回る音が聞こえるのと、直流モーターの唸り声がよく聞こえる車両でした。
3時間弱歩いたので、川越の地ビールCOEDOビールで飲み鉄をしたいがために特急に乗りましたが、本川越~西武新宿は意外と近かったです(実際には、さらに1駅手前の高田馬場で乗り換えた)。
新宿で総武線に乗り換えて、千葉の自宅最寄り駅まで帰りましたが、息子が帰ってくる3時半にも何とか間に合いました。
現地滞在3時間でしたが、川越市の洋館10件ほどを見て回り、帰りは飲み鉄も楽しめました。
家に帰って写真を整理しながら調べていたら、あと2件、見損ねた建物があったので、また見に行かなくては。
もう少し時間に余裕があればいうことないですが、また時間を見付けて見て回りたいと思います。
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さいたま市の洋館探訪
http://okuruma.exblog.jp/29833677/
2024-01-28T10:00:00+09:00
2024-01-28T10:00:28+09:00
2024-01-28T09:32:58+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
千葉県北西部の自宅から船橋に行って、東武アーバンパークラインに乗りました。
SL大樹の指定券を買うために、窓口には来たことはありましたが、船橋から乗るのは初めてです。
JRのホームからはよく見上げていますが、終端駅なので行き止まりになっています。
上の写真は、私鉄最大両数を誇った8000系ですが、実際に乗ったのは、日立製アルミ車体の60000系でした。
今は東武アーバンパークラインとうたっている以前の東武野田線は、JR武蔵野線の少し外側を同心円状に大宮と船橋を結んでいます。
大宮〜春日部、春日部〜柏、柏〜船橋でぶつ切りに運転されていて、単線区間が多くノロノロ運転していると思っていましたが、大宮と船橋を直通し、多くの駅を通過する急行が運転されていて、ほとんどが複線区間をいいスピードでかっ飛ばしていました。
船橋から急行に乗って1時間10分ほどで、岩槻に着きました。
先日のアド街で取り上げられていましたが、以前は岩槻藩(幕末は2万3千石)の城下町で、戦後、市制施行の後、平成17(2005)年には平成の大合併でさいたま市の岩槻区になっています。
まず見たのは、大正後期に中井銀行岩槻支店として建てられた東玉大正館です。
レンガ造の構造に化粧タイルを貼った建物は、国の登録有形文化財です。
東玉(とうぎょく)とは、日本人形の製造業者の名前ですが、この建物は常設の販売店舗というわけではなく、日本人形等の展示会で不定期に開いているだけのようで、この日も閉館していました。
正面出入口上にあるアーチ状のモルタル細工に、うっすらと銀行支店名の文字痕が見えるような。
基部には粗石を貼って、堅牢に見せています。
金融機関らしく、窓には金属シャッターが内蔵されていて、動くかはさておき、見ることができました。
1・2階の窓位置を合わせて一体化して見せるため、階間に装飾を施す建物をよく見ますが、端を折り返した額縁のようなデザインは初めて見ました。
そこから岩槻御成道を進むと、岩槻郷土資料館があります。
昭和5(1930)年に岩槻警察署として建てられた鉄筋コンクリート造の建物は、国の登録有形文化財です。
シンプルな外観ながら、出入口両側には丸みを帯びた張り出しがあり、2階ベランダへの出入口と階段室の2・3階間の踊り場にはアーチ窓があるなど、ところどころに見所を散りばめていました。
この時期のシンプルビルは、館内に手が込んでいるものがありますが、執務室を広くとるためのカウンター部の柱や梁などに装飾が見られ、アーチ開口もありました。
入口を入って左手、カウンター切れ目の先に応接室がありましたが、型ガラスがはめ込まれた扉には、装飾金物がはめ込まれていました。
2階への階段は、手が込んだ手すり端部で、手すり壁にも装飾がはめ込まれていました。
この日は、いいお天気だったものの、意外と寒くて、日光御成道にあるやぶそばで、温かいきしめんを食べました。
透明な醤油だしのつゆではなくて、少し甘口で色も薄めのつゆで、美味しかったです。
岩槻から大宮まで乗って、東武アーバンパークラインを完乗。
大宮駅東口前のアーケード街のすずらん通りと門街ビルを抜けたところに、大宮製油があります。
以前はこの地に製油工場があったそうですが、今は駐車場業に転身したものの、細々と油の量り売りも続けているようです。
木造タイル貼りの建物は、大正期~昭和初期に建てられたと思われます。
全体的には黄土色のスクラッチタイルを横に貼っていますが、軒と窓下には緑色っぽいスクラッチタイルを縦に貼って、変化をつけています。
また、窓上と1・2階間には、胴蛇腹のようにモルタルの張り出しを巡らせています。
2階窓の手すりは、鉄筋コンクリート造の鉄筋のような、かなりガッシリした鉄製のものでした。
大宮製油から歓楽街の大宮南銀座に向かうと、西原小児科医院があります。
大正11(1922)年に建てられた下見板張りの木造建築で、今も現役で診療しているようです。
窓枠や角部、軒や胴蛇腹を茶色く塗っていて、薄ピンク色の下見板に映えています。
井形に桟が入った上げ下げ窓に、曲線を描いた手すりが取り付けられています。
(この金属手すりは、戦中の金属供出を乗り越えたのか、戦後に取り付けられたかは不明)
軒下には、茶色く塗られた持ち送りが並んでいるのも特徴です。
大宮から京浜東北線で西川口まで南下し、バスで鳩ヶ谷に向かいました。
ちなみに以前は鳩ヶ谷市という独立した自治体でしたが、平成の大合併で平成23(2011)年に川口市に編入されています。
昭和初期に船津眼科医院として建てられた建物ですが、現在、病院としては診療していないようです。
屋根が少し高い右側上部には星形窓(?)を設け、瓦を付けているものの、裏がない飾り壁が立ち上がっていました。
県や国の文化財には指定されていませんが、かなりの力作です。
2階の窓は引き違い窓の上にアーチの採光窓が付いていますが、青緑色でその周りを囲っていて、黄土色の壁に引き立っています。
青緑色部はモルタル細工かと思ったのですが、アーチの頂部と底部などに切れ目があるので、ペンキで塗った鉄板を貼り付けているのではないかと見られます。
全面モルタル壁かと思いきや、腰部は外壁と似た色の大盤の石を貼り付けているようでした。
また、床下の通気口はアーチ状に開いていて、タイルでその周囲を囲っていますが、レンガ造の基礎だとときどき見るものの、石だとアーチ状の加工が難しそうです。
最初に見た旧中井銀行岩槻支店と、最後に見た旧船津眼科医院とも、日光御成道に面していて、その距離は20km弱なので、ところどころに残る古い街並みを自転車で走ってみたいと思いました。
こんな感じで、今年も近郊の洋館を見て回りたいと思います。
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あけましておめでとうございます2024
http://okuruma.exblog.jp/29804327/
2024-01-01T10:00:00+09:00
2024-01-01T10:02:10+09:00
2024-01-01T09:57:49+09:00
okuruma1970
その他
昨年、一番大きな出来事は、単身赴任が終わり、6年ぶりに自宅通勤になったことです。
自宅最寄り駅から始発電車に乗って、職場最寄り駅まで1本で寝て行けるのは楽です。
世の中的には、新型コロナウイルスが感染症の5類に変更され、大手を振って遠出や飲みに行けるようになったことですね。
遠出はコロナ禍でもしていましたが、飲みに行くことも普通にできるようになりました。
遠出では2月に京都へ(下写真は本願寺伝道院)、近場では足下・千葉県内の洋館を見て回り、HP「洋館探訪」に追加しました。
コロナ禍明けの7月には、家族で大阪のUSJに行きました。
昨年、転勤したばかりなので、今年は特に変化がある年ではないと思われ、あえていえば相方の通勤車BMW 118iと27年目の306が車検を迎えることですが、118iはまだ5年ですし、306も致命傷がない限りそのまま通すつもりです。
「あれが欲しい」「これをやりたい」は特にないのですが、洋館を見に岩手南部と岡山西部に行ったり、仙台ひたちなど足の長い特急で飲み鉄をしたいかな。
息子が小学6年生になり、中学生になると一緒に出掛けるでもなくなってくると思うので、来年は遊びに行きたいと思います。
ブログ的に、去年は何年ぶりか月2回を上回る28回投稿しましたが、16回が洋館探訪記、8回が国内旅行記(うち2回は秋田単身赴任中の旅行記)で、車記事は車検とモビリティショーの2回だけでした(苦笑)。
今年も月2回を目標に、マイペースで投稿していきたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
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ジャパン モビリティ ショー 2023
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2023-12-16T07:00:00+09:00
2023-12-16T07:01:28+09:00
2023-12-13T21:31:08+09:00
okuruma1970
306Cabriolet
以前は、東京モーターショーといって、2019年まで毎年または隔年開催で46回開催されましたが、2021年はコロナ禍で開催されなかったので、4年間を隔てた今回2023年からは、ジャパン モビリティ ショーと名前を変えて開催されました。
単に名前を変えただけではなくて、日本の産業を牽引してきた内燃機関を搭載した自動車が、電気自動車や自動運転、はたまた空飛ぶ自動車など方向性を変えていく中で、多様な移動手段をテーマにしたショーに変化していました。
個人的には、Boxsterを買った2005年の第39回(まだ幕張メッセ開催)が一番のピークで、最後に見に行ったのは2011年の第42回でした。
ビックサイトに来たのは12年ぶりだったか、でも何かの展示会を見に来ていたのか、それほど久々感はありませんでした。
招待券を2枚もらったので、ゲームばかりの息子を、少しは他に興味を持たせようと、連れて行きました。
まずは、入口近くにあった日産にブースへ。
そうそうこんな感じだった、というミライっぽいわかりやすい展示で、息子も少し興味を持ったか?と思いました。
普段は車のディーラーなんて行きませんし、行っても背の高くない車しか見せないのですが、モーターショー、もとい、モビリティショーでは、そうそう、子供でも座り放題。
ARIYAの運転席に座ってご満悦。
リアシートに座っては、これに替えようよ、と。
そのそばには、勢いを感じた中国メーカーBYDが展示していました。
レクサスのような位置づけなのかYANGWANGという別ブランドのようで、レンジローバー風の高級4WD「U8」でしたが、車はさておき、驚いたのは展示方法。
30分毎だかイベントの時間になると、ターンテーブルもないのに、車単独でその場で360°回転していたのです。
展示用の制御とは思いますが、4輪独立モーターを仕込んでそれぞれ制御すれば、できなくはないよな、と思いつつ、日本メーカーは考えたこともないんじゃないかなぁ。
その隣はレクサスのブースがあり、ROV Conceptという4輪バギーのコンセプトカーらしかったですが、何のコンセプトかと思ったら、いちおう水素エンジン(ヤマハのバイクエンジンを改造)搭載とか。
去年の東京オートサロンで初披露されたというので、トヨタのなかの位置づけも、オートサロン>モビリティショーなのかも(苦笑)。
ホンダで一番人気は、Honda Jetのインテリアモックアップで、1時間待ちの行列ができていました。
サッと見られれば見てみたかったけど、1時間並んで見るほど興味はなかったなぁ。
「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」のCMをリアルタイムで見たことがあるオジさんには、シティーと元コンポの組み合わせを思い起こさせる、サステナ・シー コンセプト(車)とポケット コンセプト(電動バイク)はちょっと興味がありましたが、ちょっと行き過ぎなのもコンセプトカーだったのかな。
モデルチェンジの度にデザインを劣化させているフィットの代わりに、これに近いデザインで出したら売れそうな気もします。
息子はこの東4〜6ホールを1時間弱見ただけで、ギブアップ。
結局は、全く興味を持ちませんでした。
ゲーム、ゲーム、と言うので、通路のベンチに座って遊ばせ、30分ほど一人で見物してきました。
ただ、ゲーム脳が、成長に伴って治るのか心配です。
東7ホールで説明員もおらず、車が置いてあっただけのAIM EV SPORT 01。
2023年4月のオートモビル・カウンシルで発表されたコンセプトカーで、いすゞと日産でデザインの幹部を務めた中村史郎氏が立ち上げたという「SN DESIGN PLATFORM」がデザインしたスポーツEVらしく、いいデザインだなぁと思ったものの、490PSで300km/hを発揮するって、EVに求められる性能なのか、ちぐはぐな印象も・・・。
比較的コンパクトに見えたものの、意外とデカいのかも。
このデザインで、200PSのガソリンエンジン車で500万円なら欲しい気はするけど、それは既存メーカーが共用プラットフォームじゃないと作れなくて、つまるところそれはGR86とBRZなんだろうなぁ。
同じ東7ホールで展示されていた、次世代モビリティらしいWHILL Model C2という電動車椅子。
パッと見はちょっとデザインが違うだけの電動車椅子のようですが、スゴいのが前輪で、普通に前後に回転するほか、タイヤ自体が横回転をする機構も兼ね備えていて、タイヤが振れることなく、曲がったり、斜めに進んだり、さらには後輪を軸に定置回転に近い動きもできました。
聞き損ねましたが、タイヤの寿命はどうなんだろうと思ったりして。
ちなみに、既に約50万円で市販もしていそうです。
子供も乗れれば呼びに行こうかと思ったのですが、ブース内の試乗でも中学生以上ということでした。
同じく次世代モビリティらしい、空飛ぶクルマのSkyDrive SD-03。
最終形は、操縦者1+乗客2を目指しているようですが、これは4分間の有人飛行に成功した1人乗りの実機のようです。
豊田市挙母町に本社があるのに、ご本尊は出資していないようですが、豊田鉄工(トヨタが4割強の最大株主)のほか、スズキも出資していて、中部電力ではなく関西電力が出資していたり、面白い出資企業構成でした。
お腹も減ってきたので、東ホールの2階にあった海鮮丼のお店に入りましたが、食べ終わると店員にプレッシャをかけられて長居しにくく回転がそこそこ良かったので、思ったほど待たずにすみました。
息子は、サーモンいくら丼、自分はしらす丼と唐揚げのセットを食べました。
午後はホール1〜3から一人で見始め、時間がなかったので、見たかったマツダから。
ネット記事で見ていましたが、子供用のロードスター(2/3 Scale)は、よくできていました。
さすがにドアは開けられなかったのかな。
見てみたかったのは、前評判が良かったICONIC SP。
さすがにコンセプトカーで、純エンジン車は作れなかったようで、水素などカーボンニュートラル燃料で駆動する2ローターのロータリーエンジンで発電して、モーターで走行するようです。
サイズは全長4,180×全幅1,850×全高1,150mmとワイドローで短いプロポーションは絶妙で、さすがマツダデザイン。
一定容量のバッテリーを積んでいるので、1,450kgあるのは仕方がないところですかね。
ショートデッキでオーバーハングは最小、
ロードスターのドライブトレインで作れば手が届きそうな、でもこの低いノーズは、ロータリーじゃないと実現できないんだろうな。
ガルウイングでもシザードアでもない、こういうドアの開き方、何て言うんですかね。
隣にはダイハツのブースがあり、ビジョン・コペンが展示されていました。
軽規格の現行コペンは(先代も)、660ccターボエンジンで64PSの出力でFF(前輪駆動)ですが、このコンセプトカーはロードスターより20cmほど短いものの、全長3,895×全幅1,695×全高1,265mmという小型車規格です。
また、エンジンも軽規格の呪縛を解かれて1,300ccで、FR(後輪駆動)ということですが、後ろから下部を覗き込んでみたものの、駆動装置の類は見えませんでした。
コペンの流れを汲んでいるから、こう丸っこいのか、ダイハツのコンセプトカーは、みな癒やし系デザインの気もします。
時間がなかったのは、次世代モビリティ(定速)の試乗予約が取れたから(こちらも中学生以上だったかな)。
何か乗ってみたいと、予約しようと何回か試したものの、子供が乗れる乗り物はあっという間に満員になり、何とか予約できたのがトヨタC+ Walk Tでした。
時速5km/h程度しか出ない立ち乗りの移動手段で、障害物に近づくと衝突防止のため、ハンドルを切ると転倒防止のため、自動で速度が落ちるようになっていました。
持ち時間15分のところ10分ほど乗って、立ちっぱなしと同じで(以上に)足の裏が痛くなってしまって、何に使うんだろうと思ってしまいましたが、HPによると、工場や空港など大きな施設での見回りを想定しているようです。
最後に見たのは、東京フューチャーツアーという、未来の東京の様子が見られるエリア。
大型スクリーンで、未来の東京ツアーを見た後で、それらに出てくるようなコンテンツが展示してありました。
よく持ち込んだなと思ったのが、電車の実物展示で、海外には引き込み線があり、鉄道車両の展示会が行なわれる国際展示場もあるようですが、ビックサイトに線路はつながっていないので、トレーラーで陸送してきたのでしょう。
パッと見はただの派手なデザインの電車ですが、こちらも次世代モビリティの一つということで、車載の水素タンクから燃料電池で発電して走る電車FV-E991系(HYBARI)です。
その東京フューチャーツアーで最後に遊んだのが、ブランコの動力で水素を発せさせる装置。
1分ぐらいブランコを漕ぐと、10mlぐらいの水素を発生させられるようで、40代ぐらいの方が必死にやって出した18mlと言う記録はともかく、息子の直前にやった少し年下の男の子でも10ml少々を発生させていて、息子はプレッシャを感じていたようでした。
親譲りの運動音痴というか、ブランコも満足に遊んだことがないのか、自分が見ていてもぎこちない漕ぎ方でしたが、下手なりに頑張って漕いで、息子の記録は10.2mlでした。
最後にソフトクリームを食べさせて、見終わりました。
最後に見た12年前は、1時間半でサッと見ただけでしたが、今回は、あまり興味を持たず、ときおり一人ゲームに耽る息子がいたこともあり、11時から15時まで4時間ほど見て回りました(30分ぐらいは昼食)。
結局、息子はクルマや空飛ぶクルマなどに興味を持つことなく(苦笑)、帰りました。
以前は、出展メーカーも多く、容姿端麗な尾根遺産が手を振るコンセプトカーだけでなく、市販車も展示してあって座れて、パンフレットも配っていましたが、そんなオジさんの記憶は全て過去のものとなり、誰をターゲットにしたショーだったんだろう。
ということで、車への興味が薄れているのは事実ですが、一人気ままに見て回ることができなかったからか、展示内容と興味にずれがあったか、何とも消化不良なショーでした。
今回は招待券をもらえましたが、次回、3,000円払って行くかというと、多分行かないなぁ・・・。
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花輪線の旅
http://okuruma.exblog.jp/29746516/
2023-11-18T07:00:00+09:00
2023-11-19T07:26:21+09:00
2023-11-17T08:57:30+09:00
okuruma1970
国内旅行記
秋田単身赴任中の2020年3月に土曜出勤日があり、自宅に帰らなかったので、今度は花輪線に乗りつつ、温泉に入りに行ってみました。
2月に行った秋田内陸縦貫鉄道のときは、普通電車で鷹ノ巣まで行きましたが、乗継時間の関係もあって、今回は特急つがる号に乗り込みました。
つがる号のE751系は、1999年に盛岡~青森間を走るスーパーはつかり号として製造された20年選手で、当初は6両編成だったものが4両編成に短縮されて、2011年から秋田~青森間のつがる号として運行されています。
車内は、国鉄型特急車両より現代的ではありますが、さすがに20年も経つとちょっと古さを感じます。
降りたのは、花輪線との乗換駅の大館駅で、左側のキハ110系が花輪線の車両なので、隣りのホームで乗り換えられます。
写真は大館駅を秋田駅方面から青森駅方面を見て撮ったもので、左が日本海側、右が奥羽山脈側ですが、花輪線は山を越えて岩手県に向かう路線のはずなのに、なぜか奥羽線より海側に専用ホームがあります。
大館駅を出発すると、秋田駅方面にバックするような形で出発して、奥羽線から離れていき、花輪線が奥羽線を立体交差で乗り越えていきました。
後から調べると、花輪線の前身である私鉄の秋田鉄道の開業は大正3(1914)年で、大館駅の山側には、その前の明治41(1908)年に小坂鉱山専用線が開通していたので、こういう構造にせざるを得なかったんだろうなと思いました。
しばらく進むと、十和田南駅に到着しましたが、交換待ちしているはずの反対方向の列車が、後ろからやってきました。
実は、十和田南駅は行き止まり駅になっていて、上り列車も下り列車も、到着する列車も発車する列車も、同じ方向に出入りする造りになっています。
ただし、ヨーロッパの頭端駅と違って、線路の行き止まり方向に改札口などの駅舎があるわけではなくて、駅舎は写真右側の車両の奥にあって、出入りする方向に駅内踏切があって、線路を渡って駅舎に向かうようになっていました。
これは、機関車で客車や貨車を引いていた名残りで、機関車を先頭に付け替えるための機回し線を、行き止まり方向に作る必要があったからだと思います。
その他、この機回し線の10kmほど先にある小坂への延伸の話もあったとか。
十和田南駅を出発すると、さっき走ってきた大館駅方面の線路と分かれていきました。
途中下車したのは、鹿角花輪駅。
毎年8月19・20日に花輪ばやしというお祭りで、各町内の装飾屋台10台がこの駅前ロータリーに集まって、笛や太鼓のお囃子の競演が行なわれていて、前年2019年に見に来ていました。
鹿角花輪駅から歩いて15分ほどのところに、ゆたろうという温泉施設があります。
露天風呂はありませんが、米内沢の「あゆっこ」より、広くゆったりした施設です。
ただ、観光客よりも地元客が多い銭湯のような位置づけなのか、ボディーソープやシャンプーの類がない、今となっては珍しい温泉施設で、慌てて服を着て、フロントに石鹸を買いに行きました。
よく温まり、ダウンジャケットを着ていると汗が止まらず、まだ寒い時期でしたが、しばらくセーターで歩いたほどでした。
(写真は、秋田ファン・ドッと・コムから引用)
ゆたろうには飲食施設はありませんでしたが、鹿角花輪駅は鹿角市の市街地でお店も多いので、街の飲食店へ。
入ったのは、ホルモン幸楽 鹿角本店。
ジンギスカン鍋(鉄板)で甘辛ダレに付け込まれたホルモンを焼く、というのが鹿角ホルモンのスタイルのようです。
ホルモンを焼きながら、キムチを肴に湯上りビール。
ホルモンが焼けてきたら、キャベツと豆腐に甘辛ダレを絡めながら焼いて、いただきました。
ホルモンはプルプル、キャベツと豆腐にも味がなじんで、美味しかったです。
ホルモン1人前とキャベツ1/4玉と豆腐半丁、キムチで、ビール2本を飲みましたが、この先の移動がなければ、倍以上は食べられたな。
他にも何軒か同じようにホルモンが食べられるお店があるようなので、また食べに来たいと思いました。
食後は、洋館見物。
大正5(1916)年に建てられた旧鹿角郡公会堂で、鹿角市歴史民俗資料館として公開されています。
両翼と中央出入口を張り出した左右対称の外観で、構造材を露出させたハーフティンバーに、外壁はちょっとグレーがかった横羽目板。
去年の夏に来たときは、花輪ばやしのため閉館していて外観だけ見ましたが、館内を見るのは初めて。
建物の左側面に演台があって、左翼の張り出しは楽屋というか準備室だったのかな。
天井は照明基部が装飾された漆喰部分のほか、木部とのコンビネーションで、周囲の天井高は少し低くなっています。
再び鹿角花輪駅に戻って、花輪線をさらに盛岡方面に進みます。
鹿角花輪駅も、駅内踏切がある昔ながらの駅でした。
空いた車中でボックスシートに陣取り、コンビニで買い込んだビールで飲み鉄。
2本飲んだら、車窓を見ながらウトウトと・・・。
奥羽山脈を越える路線ながら、最も標高が高い安比高原駅でも504mですが、床下のエンジンは唸っていました。
気付いたら、終点の盛岡駅の直前でした。
JR花輪線は好摩駅までで、盛岡~好摩間は第三セクターのIGR(いわて銀河鉄道)線に乗り入れているため、JRの乗車券のほかに、意外と高い別運賃660円がかかりました。
盛岡駅で買い物をして、最後は秋田新幹線こまち号で秋田へ戻りました。
飲み鉄のお供は、SL銀河号をイメージした地ビールC58で、赤ラベルは私の好きなIPA(インディアン・ペール・エール)でした。
飲んでウトウトして、気づくと秋田駅でした。
ちなみに、千葉の自宅からの行程を組んでみたところ、6時半過ぎに出て、秋田・大館経由で鹿角花輪には14時半の到着、18時半に現地を立てば、盛岡に抜けて、ギリギリ当日中に帰って来られるようです(ただし、帰途の車窓は期待できず)。
列車が3,4時間毎なので、これ以外組めませんでした(苦笑)が、鉄道では本州最遠の地の部類なので、何かと絡めて、泊まりで行くべきところなのですね。
この2週間前に行った秋田内陸縦貫鉄道の旅(投稿は7月下旬)に続き、花輪線でも温泉に浸かって、地の鹿角ホルモンを食べて、飲み鉄を堪能できました。
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長野県の洋館探訪(松本編)
http://okuruma.exblog.jp/29726808/
2023-10-28T07:00:00+09:00
2023-10-28T08:09:21+09:00
2023-10-21T23:52:43+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
上田から長野新幹線で長野に向かい、弁当を買って特急しなの号に乗り換えました。
しなの号は名古屋と長野を結ぶ特急で、JR東海の振り子電車383系で運行されています。
平成8(1996)年に全列車がこの車両に置き換えられたそうで、既に27年選手ということで、あと5年ぐらいで後継車に置き換える計画だそうです。
列車にもよるようですが、長野側の先頭車が前面眺望がいいグリーン車になっています。
しなの号には何度か乗っていますが、グリーン車は初めて乗りました。
長野から松本までは1時間ほどなので、普通の座席ならグリーン車には乗りませんが、後方展望ながら、最前列の席が空いていたので、グリーン車に乗ったのでした。
ミニステーキ丼をつまみに、昼間からビールを(笑)。
振り子電車の特徴をよくあらわしていて、カーブで速度を落とさずに走れるように、よく傾いていました。
松本市街には、洋館を見に既に4・5回来ているので、郊外で見たことがない建物を見に、アルピコ交通上高地線に乗り換えました。
ホームに停まっていたのは、アルピコ交通の最新鋭車両20100系、といっても東武鉄道の日比谷線乗入れ車両だった20000系の中間車を先頭車に改造した車両です。
途中駅で3000系とすれ違いましたが、こちらは元の京王井の頭線の車両でした。
降りたのは、終点の新島々駅の2駅手前の波田駅。
駅から坂を下りた松本市波田支所の一角に、旧波田町役場の建物があります。
旧波田町は、ご多分に漏れず、平成の大合併で松本市に編入されました。
大正14(1925)年に、現在のJAハイランド波田支所あたり(150mぐらい西方)に建てられ、二度の移築を経て、30年ほど前に現在地に置かれたようです。
L字型の平面構造で、角部を斜めに切り落として出入口を開けて、その手前にバルコニーのある玄関ポーチを設けていますが、玄関ポーチが出入口の斜めに面しているのではなく、建物の面に合わせているのは、あまり見たことがないパターンでした。
窓は全て縦長の上げ下げ窓で、開口部は基本的に上下が合っているので、1・2階を通した柱が入っているように見えます。
屋根は瓦葺きですが、塔屋から斜めに切り落とした部分の三角破風にかけては、微妙な曲線からも見て取れるように形状が複雑だからか、鉄板葺きになっていました。
塔屋がどういった目的で設けられたのかわかりませんが、破風と似た鎧戸状になっているので、眺望が目的ではなかったようです。
20分ほど見て、新島々で折り返してきた同じ電車に乗って、松本駅に戻りました。
市街をプラプラ歩いていて、外堀に船を浮かべたような建物がいつも気になっていた「かき船」は、当初は本当に水面に浮かべた船だったようですが、浸水するようになって木枠に載せるようにしたようです。
水曜日は定休日でお休みでしたが、お高い牡蠣料理屋かと思っていたら、牡蠣料理もあるものの、1000円ぐらいのカツ丼からある和食屋さんのようでした。
次回来たときは、お昼ご飯を食べてみようと思いました。
外堀沿いは病院街だったようで、時代の先端を行っていた洋風建築の病院が並んでいます。
この上條医院は、大正3(1914)年に建てられましたが、今も産婦人科として診察しているようです
窓は上げ下げ窓のように見えるものの、実は上下に分かれた引き違い窓になっていましたが、アルミサッシに交換したときに変えたのかも知れません。
目立つ装飾は胴蛇腹と窓周りぐらいですが、1階と2階で窓上の装飾を違えているので、様式を知った建築家が建てたのかも知れません。
さらに北に進むと、こちらも未だ現役診療している宮島耳鼻咽喉科医院があります。
大正3(1914)年に建てられた病院建築ですが、塔屋やドームを並べた賑やかな屋根で、外壁は白で軒や窓枠はブルーグレー、瓦屋根ながら軒部とドームが赤く塗られた華やかな色遣いと相まって、小ぶりながら白亜の王宮のような造りです。
ただ、白い外壁は筋が入っていますが、横羽目板なのかモルタル細工なのかよくわかりませんでした。
また、窓という窓はアーチ窓になっていて、元の開き窓を今も使っているような雰囲気でした。
診察室などの内部構造はわかりませんが、赤い三角庇がある部分が病院の出入口のようでした。
こちらも外堀沿いにある旧青木医院で、2年ほど前の2021年10月から、青木カフェとして営業しています。
木造モルタル壁の建物で、腰部と角のR部分にスクラッチタイルを貼っているほか、大きな持ち送りで支えられた出入口の庇は、ここだけ端部が銅板で細工されていました。
窓はアルミサッシへの交換の仕方に違和感がありますが、2階窓上の水切りや、胴蛇腹などの装飾も見られます。
が、こちらも定休日で、かき船も定休日、なわて通り商店街も水曜定休のお店が多かったので、松本市内の観光客相手のお店は水曜定休が多いのかも知れません。
さらに歩いて、開智学校も何度か見ているものの、国宝に指定されてからは初めて来ましたが、2024(令和6)年秋頃まで耐震化工事を行なっているようでした。
キレイなのもいいですが、ちょっとピカピカすぎるのも何だなぁと思いました。
この日最後に見たのは、開智学校のそばにある旧司祭館。
明治22(1889)年に松本カトリック教会の司祭館として建てられました。
水色の下見板張りに黄緑色の窓に、四角四面なシンプルな造りで、縦長窓に取り付けられた鎧戸と、玄関直上の三角破風が数少ない変化。
裏手に回ると、1・2階ともサンルームを備えた開放的な造りですが、サンルームと居室の間にも鎧戸があるものの、冬は冷え込む松本ではどうだったのでしょうね。
ただ、レンガの煙突が2本立っているとおり、邸内には複数の暖炉が設けられていました。
邸内も見学しましたが、富豪邸宅ではないので、装飾は少なくシンプルでした。
松本駅から2キロほど歩いてきましたが、30分おきのバスは行ったばかりで、どうやって戻ろうかと思ったら、またシェアサイクルがありました(写真は撮り忘れました)。
30分130円に加えて、最初(で最後だけど)に2,000円の預かり金も必要でしたが、一旦PayPayで払った後、自転車返却後に残高に戻っていました。
松本城を眺めながら自転車で走り、30分以内(130円)で松本駅に着きました。
松本駅からは、特急あずさ号で帰ります。
普通のあずさ号は松本から新宿止まりですが、17時過ぎに松本駅を出るあずさ号だけは千葉まで足を伸ばすので、それを狙って乗りました。
E353系は平成29(2017)年から運行を始めて、平成31(2019)年には臨時列車を除いて全て置き換わったそうですが、今回、初めて乗ったので、ここ4年ほど中央線方面に来ていなかったことになります。
山賊焼きとほうれん草の白和えをつまみに、飲み鉄しながら帰りました。
山賊焼きとは、鶏の一枚肉をニンニクなどのタレに漬け込みカタクリ粉をまぶして揚げた料理で、松本・塩尻地域の郷土料理だそうですが、確かにニンニクの匂いが・・・、周りの席の方、ごめんなさい。
しなの号の383系は、カーブでの遠心力に対して内側に5°まで傾けるのに対して、このE353系は車体傾斜方式が異なるものの、1.5°と傾きを少なく済ませていますが、383系の方が乗り心地に一日の長があったような気がしました。
信州産のロゼも飲んだり、車内販売で追加調達したりして、いい気分になりました。
千葉行きあずさ号に乗ったおかげで、新宿での乗り換えがなく、21時ごろには帰り着きました。
見られていなかった上田市と松本市郊外の洋館を見て、車体傾斜特急を乗り比べながら飲み鉄できました。
9月は2階行けましたが、できれば月一ぐらいで見て回りたいものです。
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長野県の洋館探訪(上田編)
http://okuruma.exblog.jp/29722019/
2023-10-21T07:00:00+09:00
2023-10-21T07:01:03+09:00
2023-10-15T18:40:46+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
まずは北陸新幹線はくたか号に乗って、上田へ。
着いたのは11時ごろで、上田駅でレンタサイクルを借りようと思ったら、ドコモ系シェアサイクルの社会実験をしていて、電動アシスト自転車が1回につき30分毎に110円でした。
上田市には、Boxstarを買った直後の18年前に一度来ていましたが、そのときに見ていなかった建物を中心に見て回りました。
まずは駅の目の前にある、みすゞ飴の飯島商店へ。
大正13(1924)年に建てられた店舗棟で、国の登録有形文化財です。
実は木造ですが、外壁のモルタル細工で石造りのような堅牢な造りに見せています。
2・3階の縦長窓は開き窓になっていて、上部ははめ殺しかも知れませんが、放射状の桟があるので、一見するとアーチ窓のようにも見えます。
今は1階が店舗になっていますが、創建当初は出荷場になっていて、道路拡幅に伴う曳家を経て、1階全てを店舗に改装したようで、左側の大窓や右側のアーチ窓は後の造作です。
敷地が四角形ではなく、奥にすぼまっている台形に合わせて建てているのも面白いです。
飯島商店前の国道141号を進み、旧北国街道を右に曲がると旧上村旅館の建物があります。
手前に高市神社があるので全景が見られませんが、全体のフォルムのほか、屋根上のパラペットのような立ち上がりと中央部のメダリオンは洋風でありながら、細かな桟の窓の引き違い窓は和風のようでもあります。
国道18号から少し南に入ったところに、エメラルドグリーンの屋根瓦が鮮やかな個人住宅がありました。
建築時期などは不明ながら、ほとんどは白い枠の引き違い窓ですが、赤く塗り分けられた鉄葺き屋根の玄関ポーチには丸窓があり、アクセントにスクラッチタイルが貼られ、またそばにはアーチ窓もあるなど、手が込んだ戦前築の住宅のような雰囲気でした。
そばには、上房山公会堂があります(ネット情報によると昭和4年築)。
右から上房山公會堂と、その名を1文字ずつ記した4分割のタイルがはめ込まれていますが、公会堂といいつつ、地域の公民館のような雰囲気です。
出入口は引き戸ですが、2階には上げ下げ窓が開き、半円模様が並べられた軒庇を持ち送りが支えていて、モダンな印象です。
また、2階に直接上がれる半外階段があり、出入口右側にその扉が設けられているのは珍しいです。
すぐそばには花岡商事の建物(ネット情報によると昭和5年築)がありました。
パラペットが立ち上がった部分を含めて3スパン分がオリジナルで、その右側は似た雰囲気で作った増築部分という感じでしょうか。
石造り風にモルタルに縦横に筋を入れていますが、2階腰部は菱形にも筋を入れているほか、窓下には渦巻模様の装飾(タイルをはめ込み?)がされているなど、パラペット周囲以外にも手が込んでいます。
1階はシャッターがあることから倉庫と思われ、2階は事務所のようで、平日ということもあり、仕事をしている方の姿が垣間見えました。
1階右端には、2階事務所への階段入口があり、木戸というのは渋いですが、その周りには緑色のスクラッチタイルが貼られ、出入扉の上にはタイルと、メダリオンのような装飾も施されていました。
出入扉上の装飾は菱形に花の模様で、軒下など何カ所かに施されていましたが、社章とは異なるようです。
染谷浄水場内にある水道資料館が敷地外から見られるかなと思って行ってみましたが、残念ながら見られなかったものの、坂を下りきったところに、旧弁室というレンガ造の水道施設がありました。
出入扉はアルミサッシに取り替えられているものの、隅石状に白いブロックが積まれ、扉周りや窓周りも白い石で組まれるなど、プチ辰野風でした。
こちらは、昭和6(1931)年築の旧上田蚕種会社の事務所で、国の登録有形文化財です。
木造下見板張りのほぼ左右対称の建物で、引き違い窓の上に、傾いて開く通風兼採光用の窓が設けられているほか、漆喰壁になっている2階の軒下には、三角形の窓上装飾も施されています。
両翼は1.5軒か2軒(2.7〜3.6m)ぐらいの奥行きしかありませんでしたが、T字の平面構造になっていて、中央部は正面の幅ぐらいの奥行きがありそうでした。
次の建物へ向かう間に、税理士事務所という洋館がありました。
前面はモルタル壁で、ガッシリとした出入口部が張り出していますが、これは当初から雪国の雪切り室として設けられたのか、玄関ポーチに後から外扉を設けたか、後者かなぁ。
玄関ポーチの足下に、支柱もないのに円筒形の置物があって、その下には動物の前足の指のように筋が入った石が置いてあったのですが、一体何なんだろうか不思議でした。
正面の窓上には中央に緑の色ガラスがある小窓が付いていて、また2階窓上には山を模したような装飾が並んでいました。
一方で、側面は構造材を現したハーフティンバーのようでもあり、窓には小さな手すりも設けられていました。
見に行こうと思っていたのは、ストリートビューで気になっていた宮下組上下水道部の建物でしたが、それらしき建物は見当たらず、最終撮影は2015年というので、既に取り壊されてしまったか、単に通り過ぎたか・・・。
(写真はGoogleMapsストリートビューから切り取り)
上田市で最後に見たのは、明治41(1908)年に建てられた常田館製糸場の事務所兼住宅。
1階部分は和建築ながら、2階部分はペンキ塗りの下見板という洋風で、函館の洋館のようでもあります。
白い下見板に若草色の窓枠というのも、明治期らしい塗り分けです。
窓は引き違い窓ですが、一部の窓上に小窓があるのがわかるでしょうか。
よく見ると、欄間にあるような組み木細工が施されていて、こちらも開くようです。
通りの向かいにある笠原工業の守衛所に申し出れば、館内や他の建物も見学させてもらえるようですが、時間がなく、外観だけ見物しました。
ということで、シェアサイクルを使って駆け足で見て回った、上田編でした。
ちなみに、乗ったのは1時間半弱で、利用料は330円でした。
この後は新幹線と特急に乗って、松本に移動しました。
(続く)
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茨城・栃木の洋館探訪(栃木編)
http://okuruma.exblog.jp/29710728/
2023-10-08T07:00:00+09:00
2023-10-09T05:16:41+09:00
2023-10-07T14:56:30+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
茨城県の大子町から、国道461号線を走って県境を越えて、栃木県の大田原市へ。
平成の大合併で大田原市に併合された黒羽町エリアですが、元は黒羽藩の城下町だったようです。
那珂川を渡る那珂橋のたもと、河岸段丘の下にドイツ壁の洋館がありました。
2階はグレーのモルタルに凹凸を残したドイツ壁ですが、1階は普通のモルタルで、構造材を露出させたハーフティンバーです。
切り妻屋根のようでいて、屋根裏通気口に雨を入りにくくするためか、端部を少し折り下げています。
全体的に洋風で、窓は手が込んだ桟ですが、引き違い窓でした。
また2階中央部はモルタル壁ですが、花を入れた籐籠を模したような、見事な漆喰細工がありました。
GoogleMapsでは、すぐそばのくろばね齋藤醫院の写真がこの建物になっているので、病院の古い建物だったのかも知れません。
那珂橋を渡って右折すると、足利銀行黒羽支店がありました。
明治末期に黒羽銀行として建てられた黒漆喰で塗られた土蔵作りの銀行建築は、国の登録有形文化財です。
銀行建築らしく、窓には金柵が取り付けられ、正面の出入扉や2階窓には鉄扉が取り付けられていました。
正面の出入扉は古い戸が使われているようですが、自動ドアに改造されていて、開いたときに覗き込んでみたところ、店内も現代風に改装されていました。
出入口を入った部分には2階が設けられていますが、吹き抜けにはなっておらず、元々だったのか、後に2階床を設けたのか、天井が張られていました。
国道294号線を南下して、那珂川町の旧小川町エリアへ。
こちらも平成の大合併で旧馬頭町と合併して那珂川町となったようですが、旧小川町の前身であった旧那珂村の村役場として、大正2(1913)年に建てられた建物が残っています。
役場らしい左右対称の下見板張りの建物で、1階は引き違い窓に、正面両側の窓上には採光窓も設けられていて、2階は開き窓です。
2階正面の窓には木の鎧戸が取り付けられていますが、ところどころ歪んだり壊れたりしているのが痛々しいです。
小川公民館の敷地内に移築されて、那珂川町小川郷土館と名付けられ、覗き込んだところ、農具などが置いてありましたが、耐震強度の問題なのか、現在は内部を見学することはできないようです。
那珂川町から国道293号線を西に向かい、平成の大合併で氏家町と合併したさくら市の旧喜連川町エリアへ。
黒羽町と同じく城下町で、奥州街道の宿場町でもあったようです。
その旧奥州街道のおそらくは旧喜連川宿の道沿いに、旧喜連川興業銀行本店の建物があります。
大正2(1913)年に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、この時期の銀行建築らしい柱頭を備えた付け柱を並べていて、柱間の上部はタイル貼り、下部はモルタルで石造り風に見せています。
また、窓は比較的上下高が小さいアーチ窓ですが、下の開口部は引き違い窓というのが珍しいです。
アーチ窓の上には、中央部はガラスでなく、よく見ると8分割された円形の窓があり、付け柱とともに、正面のみならず側面にも並べています。
現在は和い話い広場という観光案内所として使われていますが、館内はキレイに作り替えられているようでした。
すぐそばには、大正15(1926)年に建てられた旧喜連川警察署の建物があります。
左右対称の下見板張りの建物で、手前は平屋、奥は2階建てになっていて、正面中央の屋根を三角形に立てて、採光窓を設けています。
一時はカフェレストランとして使われた後、現在は街の駅本陣という店舗と多目的コミュニティールームとして使われているということで、大正15年築とは思えないピカピカぶりですが、実際には閉館状態でした。
国道293号を少し戻った後、県道で南下して那須烏山市の旧烏山町エリアへ。
こちらも平成の大合併で旧南那須町と合併した市だそうで、これまた旧城下町です。
大正12(1923)年に烏山病院として建てられた建物で、現在は烏山和紙会館として公開されています。
左右対称の2階建て部に平屋を連ねていて、木造モルタル壁に上げ下げ窓が開いているほか、1・2階の窓の間には換気口が開いています。
中央には、上部が弧を描いたガッシリした車寄せがあり、その上の軒下には、縦長の漆喰細工が施されているほか、屋根の中寄りには換気用の丸い屋根窓が3つ載っています。
撮ったのは建物の写真ばかりですが、いちおう306で見て回った証に1枚だけ撮りました(苦笑)。
既に幌を閉じていますが、久々に屋根を開けて走りました。
那須烏山市から国道294号線を南下して茂木町へ。
ツインリンクもてぎ内の「森と星空のキャンプヴィレッジ」での初キャンプの後に立ち寄っていた道の駅もてぎに、旧古田土雅堂(こだと がどう)邸という建物があると最近知って、5年ぶりに再訪しました。
同氏はアメリカで活動した日本画家らしく、日本に帰国するにあたって、当時は珍しかったツーバイフォー工法の組立住宅を輸入して、組み立てた建物だそうです。
黄色くて複雑な屋根構造が目を惹きますが、白い外壁に窓枠はこげ茶色に塗り分けられ、1階は上げ下げ窓、2階は開き窓があるものの、全体的には非常にシンプルで、装飾は玄関部分だけです。
土日祝は館内も見学できるようですが、平日だったので、外観だけ眺めてきました。
暑い中を走ってきたので、建物を見ながらブルーベリーソースをかけたフローズンヨーグルトを。
PETボトルのお茶やコーヒーは飲んでいたものの、食べずにひたすら見ては走ってを繰り返し、さすがに夕方5時になってお腹が空いたので、ゆず風味の生姜焼きのお弁当も食べました。
国道294号線を南西に向かい、最後に見たのは益子町の松原製材所。
水色に塗られた下見板張りの事務所建築で、1階は上げ下げ窓ですが、2階は内開きの窓なのか、少し奥まって窓があり、18年前にたまたま通りかかって撮った写真では、その外側に網戸のようなものが取り付けられていました(今も右から2番目の窓にだけ、横に残っている)。
人は見えませんでしたが、1階中央の扉が開き、中がうっすら光っているのがわかるとおり、今も事務所として使われているようです。
6時を過ぎて薄暗くなってきたので、帰途へ。
このとき走っていたのはディーゼルカーでしたが、この真岡鐵道には土日はSL列車も走っていて、踏切の道路標識そのものだなぁと思ってしまいました。
逆に、今の若い人は、こんな道路標識を見せられても、踏切ってわからないんじゃないかなぁ。
益子から自宅まで下道でテレテレ帰りましたが、8時半過ぎには帰り着きました。
今回は赤い線で囲んだエリアの8つの街で、15の建物を見て回りました。
これで温泉に入って、ビールが飲めれば最高なのですが、車だし遅くなってしまうし、さりとて、こういうエリアは車なしでは見て回れないし、難しいですねぇ。
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茨城・栃木の洋館探訪(茨城編)
http://okuruma.exblog.jp/29705826/
2023-10-01T07:00:00+09:00
2023-10-01T07:02:46+09:00
2023-09-30T20:55:34+09:00
okuruma1970
洋館探訪記
9時半ごろ自宅を出て、常磐道で那珂ICまで北上し、国道118号を走って常陸大宮市へ。
常陸大宮の市街地から国道293号で北上すると、山間部に高部宿(たかぶじゅく)があります。
戦国時代には国境を守る城が築かれ、江戸時代には製紙と葉煙草で栄えて、さほど大きくない町ながら、酒蔵が2つもあったそうです。
まず目に入るのは、國松酒造を営んでいた國松家が明治41(1908)年に建てた旧高部郵便局です。
若草色に塗られた下見板張りの建物で、正面は左右対称ながら、右側には立派な門が、左側には上げ下げ窓を備えた漆喰壁の平屋が連なっています。
金融機関らしく白く塗り分けられた窓には柵が設けられているほか、門の横には時間外窓口のような小窓も設けられています。
その東隣には、岡山酒造を営んでいた岡山家があり、明治20(1887)年に建てられたこの三階櫓「喜雨亭」は、国の登録有形文化財です。
最上層の通りに面した三面には、酒の銘柄であった「花の友」と書かれていますが、庭園に面した南面は、色ガラスもはめ込まれた窓になっているそうです(館内の様子など)。
この岡山家には偕楽園を模した「養浩園」という庭園があり、この喜雨亭も偕楽園にある好文亭を模しているとのことで、いずれも冬季を除く3〜11月の第1・3土曜日に一般公開されているようです。
さらに、高部宿のみならず、茨城県の宝というか、全国的にもレベルが高い洋館があります。
明治35(1902)年に建てられた間宮家住宅主屋で、国の登録有形文化財です。
木造3階建てで、1・2階が下見板張り、3階が漆喰壁になっていて、2・3階の窓はアーチの上げ下げ窓です。
正面出入口は三枚扉になっていますが、左右に蝶番がある開き戸で、右扉と中央扉も蝶番で連なって開き、左扉は単独で開くようになっていました。
当初は馬頭銀行として使われていたようです。
住宅の玄関は、左側に(奥に?)連なる和風建築にあるようでしたが、この主屋に合わせて、正面には下見板が貼られていました。
1階窓は上げ下げ窓だけですが、上階のファンライト(窓上のアーチ部分)には、赤い色ガラスがはめ込まれていました。
また、観光案内看板に、大正8(1919)年に建てられたという平塚家時計塔とあり、通りから奥まったところにあって、よく見えないものの、日本家屋のような母屋に、確かにヒョコッと塔が載っていました。
ちなみに、窓下部の白い部分は時計ではなく、白いすりガラスでした。
高部宿からタバッコ峠を越えて、常陸大子の市街地へ。
まずは、大子ドレメ美術館へ。
大正15年または昭和元(1926)年に雑貨店として建てられた後、長らく大子服装学院として使われていたようですが、台風で被災して取り壊されるところを、修繕して美術館に転活用したようです。
正面はモルタルで堅牢そうに見せていますが、奥は昔ながらの和風建築という看板建築です。
1階中央は大きな開口になっていて、今は左側の引き違い戸が開くだけですが、雑貨店当時は全て開いて、両側のショーウィンドウに売り物を飾っていたのでしょう。
2階はモルタルで筋を入れて石造風に見せて、軒蛇腹を巡らした上には装飾を施したパラペットを載せるなど、ハイカラな建物でした。
また、少し離れた通りには、大正6(1917)年に建てられた旧大子銀行本店を転活用した、まちかど美術館があります。
国の登録有形文化財ですが、当初は、左奥の平屋部分と同じ白いモルタル仕上げであった外壁(上リンク先に写真あり)は、トタンで覆われて、痛々しい雰囲気です。
ただ、塔屋のドーム屋根と正面出入口の左右を固めていた支柱は、当時の雰囲気を今に伝えていました。
また、駅前商店街には、旧樋口病院がありました。
この入院棟は、戦前築でも通用しそうなレトロな雰囲気ですが、昭和30(1955)年の建築だそうで、当時のデザインを今に残していることから、国の登録有形文化財となっています。
現在はNPOの展示スペースになっている正面左側の開口部は、時代を先取って作られた車庫だったそうです。
一方、昭和5(1930)年築の外来棟と思われる建物は、昭和50年代築と言われても納得しそうなあまり特徴のないデザインで、文化財指定はされていません。
茨城編では山間部を見て回り、高部宿の建築群に驚きましたが、この後は、県境を越えて栃木県の山間部を見て回った栃木編に続きます。
(続く)
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犬吠埼への旅(後編)
http://okuruma.exblog.jp/29696156/
2023-09-23T07:00:00+09:00
2023-09-23T07:01:38+09:00
2023-09-18T13:22:06+09:00
okuruma1970
国内旅行記
日の出時間の5:05に起きてみましたが、雲で太陽は見えず、相方と息子は朝風呂に行き、私はもう一眠り。
遅く起きた私も朝風呂に入った後、食事会場で朝食。
サバの塩焼きに湯葉の小鍋、サラダとご飯のつまみなどなど、お腹一杯のはずなのにお代わりをしてしまうメニューでした。
前回は銚子電鉄に乗るために犬吠埼灯台には寄りませんでしたが、今回、初めて間近で見ました。
犬吠埼灯台は、明治7(1874)年にイギリス人のお雇い技師ブラントンによって建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
明治維新直後にブラントンによって建てられた灯台は、20基以上あり、その多くが現存しているようです。
一見すると鉄筋コンクリート造のように見えながら、漆喰なのか今ではモルタルなのかで覆われているレンガ積みですが、建てられてから150年近く、関東大震災や東日本大震災にもびくともせず、光り続けています。
犬吠埼灯台は、国内に16あるというのぼれる灯台の一つです。
煙と何ちゃらは高いところが好きと言うことで、私は高いところが好きで昇りたくなりますが、息子はあまり高いところが得意ではないことがわかってきました。
ホテルから灯台が見えていましたが、灯台からもホテルが見えました(写真真ん中の白くて平たい建物)。
晴れ間も見え始めましたが、波が高いですね。
興味を惹かれたのが、旧霧笛舎という建物。
灯台は光を照らして船に位置を知らせますが、濃い霧が発生すると光が見えないので、霧笛という野太い笛の音で、灯台というか岬の位置を船に知らせていて、機械で圧縮した空気を大きな笛に送り込み、鳴らしていたそうで、その空気圧縮機などを収めた建物だったようです。
明治34(1911)年に建てられ、平成20(2008)年まで100年近く使われていたそうですが、この建物は骨組みから外壁まで全て鉄製(官営八幡製鉄所製)で、しかもかまぼこのようなアーチ屋根というところが面白いと思いました。
ちなみに、こちらも国の重要文化財です。
灯台の階段が99段なのは、九十九里浜にちなんだわけではなく、後付けだと思いますが、高い灯台を昇って降りてゼーゼーしたので、観光施設犬吠テラステラスのカフェでカキ氷を食べて涼みました。
仕事をリタイアした悠々自適なご夫婦などが多かったように思いましたが、ドリンク(コーヒー280円〜)に290円足すと、立派なモーニングセットが付いてくるようで、ご近所にお住まいなのか、通い慣れた雰囲気でした。
また、館内にはベーカリーもあり、テイクアウトのほか、買ってカフェで食べることもできるようです。
ハチャプリというジョージア(ソ連の旧グルジア)のチーズパンなどを、買って帰りました。
その他、館内では銚子の地ビールも飲めたようですが、月曜火曜は定休日でした。
日曜日のホテルチェックインの前に立ち寄れば良かった・・・。
未探訪の洋館を見ながら帰途へ。
銚子から1時間ほど走って、九十九里町へ。
歯抜けになった商店街の一角に、橋本歯科医院がありました。
昭和初期ぐらいに建てられたのでしょうか、詳細は不明です。
恐らくは木造でモルタル壁の建築で、大仰なパラペットから看板建築かと思いきや、側面のみならず、背面にもパラペットとメダリオンがありました。
また、窓上の雨除けや1・2階間の胴蛇腹、四隅には縦筋を引いて頭っぽく見せるなど、全体的にはシンプルながら手が込んでいました。
商店街から町役場の方へ進むと、下見板張りの個人住宅がありました。
1階の通り側はシャッターが取り付けられていますが、2階は上げ下げ窓で、また左側面の写っていない面の2階には、戸袋と引戸の雨戸があり、小さな手すりも付いていました。
千葉県内の街並みを深掘りしているDeepランドによると、中西薬局の店舗だったそうです。
朝ご飯をしっかり食べたのに、お昼を過ぎるとお腹が空いてきたので、海の駅九十九里へ。
1階はお土産などの物販店といわし漁の資料館、2階は3店で選んで食べられるフードコートになっていました。
息子は、葉武里というお店の海宝丼(海鮮丼)を食べました。
切り身がずいぶん分厚そうでした。
私は真鯛漬け炙り丼を、相方ははまぐりラーメンを食べました。
今回の旅の足は、相方の通勤車であるBMW 118i。
故障知らず(当たり前ですね)で、乗り心地も良く、高速ではクルコンもあって運転は楽といい車ですが、燃費走行しても燃費が全然伸びないんですよねぇ。
カタログ値(JC08)では18.1km/Lですが、実燃費は10km/Lぐらいのようです。
FFになったF40型118iのデータ(JC08は16.8km/L)では、WLTCモードで13.7km/L、うち市街地モードでは10.7km/Lというので、やはり実燃費は10km/Lぐらいなのかもしれません。
最後に見たのは、東金市の丘陵部にある旧今井医院。
こちらによると大正2(1913)年築とのことですが、詳細は不明です。
瓦葺きがわずかに弧を描いた和風の玄関ポーチがありますが、ヒンジらしき金物が見えるので、開き戸ではないかと思われます。
また扉のガラスには、今井醫院と縦書きされているようです。
2階を見ると、元々サンルームだったのか、バルコニーにガラス戸をはめ込んだのかわかりませんが、2階のガラス戸の中には上げ下げ窓が見えて、神戸市北野の異人館のような雰囲気です。
また、ガラス戸の下部には細かな模様の鋳物のような手すりを設けているほか、両端の柱には弧を描いた垂れ壁を設けています。
軒には細かな持送りが設けて、前縁の庇を支えているのか、単なる装飾か、その下にも漆喰で細かな凸凹で装飾しています。
木や葉に覆われて、全体がよく見えませんが、葉が落ちた冬に行くと、見えるのかも知れません。
ということで、息子のギブスが外れて、少しは夏らしい波遊びや花火をしつつ、洋館も何軒か見られた夏休みでした。
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犬吠埼への旅(前編)
http://okuruma.exblog.jp/29690292/
2023-09-16T07:00:00+09:00
2023-09-16T07:02:16+09:00
2023-09-10T15:12:59+09:00
okuruma1970
国内旅行記
昼前に車で自宅を出て、まず向かったのは、成田市の隣にある多古町。
澁谷嘉助旧宅正門というレンガ造りの長屋門があり、明治43(1910)年ごろに建てられたこの門は、国の登録有形文化財です。
奥行きが4〜5mぐらいある門で、中央にアーチの開口部があり、道路側と敷地内側ともに外壁から奥まった内部に、立派な木戸が設けられています。
木戸は、かんぬき(漢字は、まさに象形の閂)を備えた両開きの大扉の他、人だけが通る片開きの通用口も設けられていました。
門の両側は倉庫になっているようで、敷地内側から出入りするようになっていて、側面には丸い通気口が開いていました。
今年のGW中に千葉の洋館探訪(その2)でそばを通っていたはずですが、そのときは調べておらず、またバスで成田→三里塚→八日市場と通ったので、知っていても寄ることはできなかったかもしれません。
13時過ぎになってお腹が減ったと息子が騒いでいたのですが、この長屋門の先にあった銅板葺きの和門の前に、「COFFEE 薫風」と書かれた小さな看板が出ていて、検索するとランチも食べられるようだったので、入ってみました。
車でこの門(個人住宅の門としては大きいですが、車が通るにしては小さい)をくぐって敷地内に入ると、キレイなお屋敷がありました。
門を入って、二股を左側に進むと、右側に出入口がありました(わからなくて右側を進んでしまった)。
天井が高い平屋(?)の日本家屋で、お店の方曰く、古い家屋を解体した部材を使って建て直したものとか。
アイスコーヒーの奥の壁は、仏壇の扉?
頼んだのは豚飯。
といっても、帯広の豚丼のような豚肉ドーンではなく、塩茹で(?)した豚肉がご飯に混ざっていて、錦糸卵と椎茸、ネギに漬物、ゆずを混ぜて、だし汁をかけて食べる、鶏飯に近い料理です。
混ぜるとこんな感じで、ご飯は少なめに見えますが、一気にだし汁をかけるとご飯がふやけてしまうからと、もう1杯おかわりできるようになっていました。
こってりの豚丼は大好物なのですが、この豚飯は豚飯で、(飲んだ翌日の胃には)さっぱりしていて美味しかったです。
息子は冷やしそば、相方は海老カレーを注文しましたが、いずれも美味しかったです。
これにドリンクがついて1,100円でした(コーヒー・アイスコーヒーは1杯お代わり可)。
近所にあったら、チョコチョコ行ってしまいそうです。
今回はフラッと立ち寄りましたが、帰り際にもらったカードには、事前に連絡していただけるとありがたいです、のようなことが書いてありました。
ちなみに、息子は念のため左手を吊っていますが、既にギブスは外れていました。
同じ多古町でもう1件。
目的の建物とは違いますが、こちらも立派な長屋門で、左側は一時期、郵便局として使われていたとか。
長屋門の右手にあるのが、長屋門の主によって明治40(1907)年に開設された私立米本図書館です。
軒下は漆喰で仕上げられている他は下見板張りの木造建築で、むくり屋根の玄関ポーチが一番の見所です。
出自は不詳ながら、開設と近い時期に建てられたのではないかと思われますが、文化財等には指定されていません。
基本的には左右対称ですが、2階窓上の波状の装飾は、南東に面した写真右側面にかけては連なっているものの、左側面には連なっていなかったので、左側面には窓がないのかも知れません。
もう一件、銚子市内で内野家住宅洋館という国登録有形文化財の建物を探したのですが、敷地内に樹木が生い茂り、公道から垣間見ることはできませんでした。
犬吠埼に着いてチェックインしたのは、犬吠埼観光ホテル。
1年ほど前に、犬吠埼への千葉とく旅で泊まったのと同じホテルです。
外観や躯体はかなり年季が入っていますが、ほぼ全室がオーシャンビューで、大画面テレビやソファー、マッサージチェアなどの備品はしっかりアップデートされています。
着くなり、マッサージチェアでくつろぐ小学5年生。
後で海側から見たところ、特にオーダーしたわけではないものの、館内唯一、バルコニーがある部屋でしたが、当日予約で残っていた喫煙可能な部屋ということもあったかも知れません。
16時半頃に着き、念のため海パンを履いて、ホテル目の前の砂浜へ。
背後には犬吠埼灯台が写っています。
そこそこ波があり、少しずつ前に進むと、膝辺りまで濡れて、浜遊びをした気分になりました。
しばらく動かしていなかった左手の動きがまだ回復していないので、念のため右手を繋いでいました。
30分ほど浜遊びをしてから温泉に入り、18時半から夕食。
1階の食事会場でしたが、去年食べたのと全く同じ、海辺の席でした(笑)。
大人メニューは、前菜のほか、少し手の込んだお造りに、天ぷらや煮物、地元牛の小鍋など、ビールの肴に事欠きませんでした。
ビールを3本、よく飲みました。
子供メニューは前回と同じく、セルフたこ焼きと手巻き寿司もありました。
前回もあったか記憶にないのですが、今回はシャリを固める型もあり、セルフ握り寿司も楽しめました。
食後、もう一度、砂浜に降りて、今度は花火を楽しみました。
ホテルの方に言うと、バケツと懐中電灯を貸してくれました。
部屋に戻って、大画面テレビでゲーム三昧。
お父さんは、持ち込んだビールとつまみで飲み直し。
ただ、夕食でよく食べてよく飲んだので、2本しか飲めず・・・。
ということで、千葉の洋館探訪の落ち穂拾いをしながら、ホテルで浜遊びや花火をして、楽しんだ晩夏の一日でした。
(続く)
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夏休み大阪旅行2(後編)
http://okuruma.exblog.jp/29669671/
2023-08-26T07:00:00+09:00
2023-08-26T07:01:39+09:00
2023-08-20T13:28:06+09:00
okuruma1970
国内旅行記
3日目の朝もホテルでの朝食ではなく、今度はびっくりドンキーのモーニング・セット。
JRのユニバーサルシティ駅からUSJまでの商店街には、コンビニだけでなく、意外とファミレスもあるんです。
息子はミニマムチーズバーグディッシュ、相方はスペシャルブレックファスト(私はミニマムエッグバーグディッシュ)で、味噌汁かドリンクを選べる仕組みでした。
3人で2,000円+αぐらいでした。
チェックアウトギリギリの11時までノンビリして、最終日は大阪観光。
あべのハルカスに昇ろうかとも思ったのですが、ベタな大阪の方がいいかなと思って、通天閣へ。
JRゆめ咲線から大阪環状線に乗り換えて、新今宮駅へ向かう途中、キャリーバッグに気を取られて、荷棚に上げた自分の荷物を忘れたことに気づきました・・・。
新今宮駅でJRゆめ咲線の終点・桜島駅に連絡してもらい、無事、荷物が見つかったので、引き取りに行ってきました。
その間、相方と息子は、ものの試しに、阪堺電軌に一駅だけ乗ったそうです。
茶色い古い電車ながら、クーラーはついていたとか。
商店街で追いついて、通天閣のチケットを買うため、まずは地階へ。
ちなみに、通天閣には、昨春(2022年5月)にタワースライダーという、長さ60mのらせん滑り台ができたのですが、これに乗るためには1階で同意書を書いてから、地階でチケットを買う流れになっていました。
(後述により、結果的に乗らなかったので、同意書を書かず、チケットを買わなくて良かった)
チケット売り場と、エレバーター乗り場で並ばされ、40分ぐらいは並んだでしょうか。
途中のエレベーター待ちの列では、写真を撮られて、買う羽目に・・・。
5階の黄金の展望台で、あべのハルカスをバックに1枚。
5階展望台には、ビリケンさんがありました。
通天閣に昇ってビリケンさんを拝んだのは、出張ついでに来た2012年3月以来、11年ぶりでした。
この日も息子の奇行が再発し、一人で通天閣の展望台から早々に降りてしまい、ウロウロ探すも見つからず・・・。
キッズケータイの居場所通知は、垂直方向の検知が苦手なようで、通天閣から出てうろついていると推測して、外に出て探したものの見つからず、結果的には館内にいたようでした。
このせいで、タワースライダーに乗ることはできずじまいでした・・・。
息子の機嫌が悪いのは、お腹が減ったのもあったのかも知れません。
前回の夏休み大阪旅行では、道頓堀で食べた串カツだるまが、通天閣の足下にあったので、遅めの昼食を。
二度浸け禁止のソースは、新型コロナの関係か撤去されていて、基本はボトルから串カツに直接かけるスタイルに変更されていましたが、オプション(260円)でオーダーすることもできました。
息子を探して汗だくになったので、水分補給を。
これだけ見ると、平穏な家族旅行に見えるのですが・・・。
串カツを肴に、美味しくビールが飲めたので、良しとしましょう。
最後に、通天閣をバックに新世界で1枚。
最後は大阪環状線と、大阪駅で東海道線に乗り換えて、新大阪駅へ。
新大阪駅では、新幹線の発車時刻まで20分ほどしかなく、満足な土産を買うことができないまま乗り込みました。
満足な土産は買えなかったものの、飲み鉄の準備は万端。
串カツを食べて満たされていたはずでしたが、つまみもガッツリと。
東京駅まで2時間半、途中で補充もしつつ、名古屋を過ぎた辺りからウトウト。
7時前には東京駅に着きました。
旅行直前に息子が骨折してギブスを着けた状態でしたが、USJのスーパー・ニンテンドー・ワールドで遊ぶことができ、往きは飛行機、帰りは新幹線で遠出できたので、いい夏休みの思い出ができたのではないかと思います。
宿泊費10万+往路飛行機4万+復路新幹線4万+USJパス4万で、ざっくり22万円と国内旅行としてはなかなかな出費でしたが、楽しめたので良しとしたいと思います。
(完)
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夏休み大阪旅行2(中編)
http://okuruma.exblog.jp/29664012/
2023-08-19T08:00:00+09:00
2023-08-19T08:01:12+09:00
2023-08-12T14:11:19+09:00
okuruma1970
国内旅行記
8時開園前に並ぶべく、朝6時過ぎには起きて、準備開始。
眼下のUSJは、6時台は静かでしたが、7時台になるとジェットコースターの試運転が始まりました。
朝食なしプランだったので、商店街にあるマクドナルドで朝マックを調達し、部屋で食べました。
たまに食べるマクドナルドは、美味しいんですよねぇ。
ちなみに、朝食ビュッフェは2,800円らしく、朝食付プランでも+2,000円ぐらいしていました。
入園したら、まずはスーパー・ニンテンドー・ワールドの入場整理券を無事ゲット。
(1日目のように入園時間が遅いと、必ず入場できる入場整理券の配布が終わり、入場できるか抽選となる入場抽選券しか手に入らないようです)
入場時間が12:50〜13:50からと指定されたので、それまでは通常のアトラクションを楽しみます。
まずは、前日は長い待ち時間であきらめたドラえもんXRライドへ。
それでも4-50分は並んだかな。
VRゴーグルを着用して乗り物に乗るアトラクションで、VRによる視覚と、乗り物の微小ながら大きな加速度の動きで、ジェットコースターのようなダイナミックに振られる体感がありました。
歩いていると、暑さで体力が奪われます。
水筒に氷をギッシリ詰めてホテルから持ち出し、ミネラルウォーターを足しながら飲んでいましたが、水だけだとお腹がゴボゴボしてくるので、ときどきアイスなどで体を冷やしました。
ちなみに、園内の自販機では、ミネラルウォーターもジュースと同じ250円!です。
また、ミニオンのカップは、アイスに加えて600円ぐらい出して買ったものです。
つくづく、商売がうまいです。
園内には、ところどころにミストシャワーがあり、ジリジリ照りつける日差しの中、涼しい感覚を得られました。
懲りずに、2日目もエルモのスケートボードに乗りました。
怖くない範囲で意外と大きな動きを感じられて、それでいて混んでいないので、子供連れにオススメです。
最繁忙期はわかりませんが、夏休みの土曜日でも、20分待ちぐらいで乗れました。
午前中はこの他にもいくつかアトラクションに乗った後、スーパー・ニンテンドー・ワールドに備えて、腹ごしらえ。
ジュラシック・パーク付近で売られていた、スモークチキンをがぶり。
そして、お待ちかねのスーパー・ニンテンドー・ワールドに入場しました。
息子の右手に着けている黄緑色のバンドは、パワーアップバンドというもので、6種類あるうち、息子はヨッシー・バージョンを買いました。
園内の?ボックスをパンチすると、ポイントゲットのチャイムが鳴ってポイントが貯まるほか、園内でのゲームにも参加できますが、時計の表示機能すらないのに、4,200円もします(苦笑)。
他に使えないのかよ、と思ったら、Nintendo SwitchのAmiiboとして使えるようです。
トンネルを抜けて園内に入ると、2Dのマリオワールドが、それっぽく3Dで再現されていました。
いやぁスゴい。
ニンテンドーは、自らテーマパークを作る経営判断ができなかったのかも知れませんが、としまえん跡にできたハリーポッターの遊園地のニーズがあるなら、それよりもよほど人気が出そうな気もします。
何はともあれ、マリオカート・クッパの挑戦状に並びました。
100分以上の待ち時間が表示されていましたが、新しいアトラクション(2021年3月に開業)だからか、行列全てが空調の効いた館内で、少し寒いぐらいでした。
4人乗りのカートに乗って、ゴーグルを付けて進み、ハンドルを切ったり、ボタンを押して甲羅を発射させて、コインや敵にぶつけてポイントをゲットしていくアトラクションでした。
息子の左手が完調なら、慣れたものなのでしょうが、肘が曲げられないので、思ったほどポイントが取れなかったものの、一番の目的が達成できて満足したようでした。
入園前にスモークチキンを食べただけだったので、こうらのカルツォーネを食べました。
外はメロンパンのようにカリッとしていて、中はチーズと焼きそばという、面白い食感でした。
入場整理券で人数を絞っているものの、狭いスーパー・ニンテンドー・ワールド内に人がひしめき合っている上、屋外は暑いので、食べる場所探しに苦労しましたが、何かの通路なのかトンネルのような場所で、日差しを避けて食べられました。
もう一つの、乗り物アトラクション、ヨッシー・アドベンチャーにも乗りました。
こちらは派手なアクションはないので、小さな子供でも乗れて、3色ある卵を見つけて、その色のボタンを押すというゲームで得点を競いますが、スーパー・ニンテンドー・ワールドの屋外を進むので、園内の装飾を間近に見ることができ方が良かったかも。
パワーアップバンド・キーチャレンジで3つのミッションをクリアし、クッパJr.の隠れ家に突入し、やっつけるゲームまでやりきりました。
腕に着けたパワーアップバンドを、モニター下の「M」マークに当てると、当日のポイントランキングが表示されました。
スーパー・ニンテンドー・ワールドをバックに、満足な表情の息子。
12時50分に入って5時間ほど遊び続け、親は疲れました・・・。
で、本人は満足したはずなのに、夜に向けて夕ご飯を食べるお店探しが気に入らなくて、混んだ園内で、一人で歩き出す奇行を・・・。
急に怒鳴ったり、暴れたり、壁を蹴ったりという奇行が、ときどき見られるのですが、そろそろ反抗期なのか。
一人っ子なので、何でも意見が通ると思わせないとか、人と意見を合わせるとか、させなくてはと思いつつ、火が着いたときは、気に食わない相手とは顔を合わさないようにしておいた方がいいので、相方に任せました。
息子が食べたかったのは、ディスカバリー・レストランで、ワンピースのメニューを食べたかったようです。
新しいことに興味を持たせたいのですが、年寄りでなもないのに(子供だから?)、同じところ(4年前に一度食べただけ)に行きたがるんですよねぇ。
面倒くさいのの手が離れたので、ピザをつまみながら、ビールを1杯、2杯。
暑い中を歩き回ったので、染み渡りました。
食べ飲み終わっても、息子はまだ落ち着いていないようだったので、一人でフライング・ダイナソーに。
日中は大行列だったのかも知れませんが、夕方になり、シングルライダーなら20分ほどの待ち時間でした。
シングルライダーとは、4人乗り等のアトラクションで、3人や2人のグループが乗った際、空いた席に1人で相乗りすることで早く乗れる仕組みで、混んだ人気アトラクションを中心に設定されているようです。
肩から座席に固定された状態で、足を下に放り出して乗り、上下左右に振られながら、回転やツイストするジェットコースターの一種です。
132cm以上なので、身長的には息子でも乗れるものの、息子がこの手の乗り物に抵抗がある(乗ったことがないだけ?)と、今回はギブスで安全バーが固定できないので、今回は乗っていませんでしたが、一人なのをいいことに(笑)。
なかなかな高さに、大丈夫かなぁとも思いましたが、いざ走り始めると、笑いが止まりませんでした。
一人で楽しんだ後、相方に電話をすると、相方も息子を見失ったと・・・。
キッズケータイの居場所通知で探すこと数回、何とか見つけて、落ち着かせながらアトラクションに乗せ、最後はグッズショップでお土産を買って、ようやく落ち着いてきました。
自分が小学校高学年の頃は、友人と電車やバスに乗って都心の博物館や東急ハンズ、晴海(笑)のモーターショーなどに行っていましたが、時代なのかエリアなのか、日頃、息子は何でも車なので、自宅近辺ならともかく、見ず知らずの土地、まして数万人がひしめくテーマパークで迷子になって、ホテルのような定点に戻れるとは思えません。
旅行で誰かについていくことしかできない人って、こうやって育ってきたのか、そうやって育てちゃった、と今更ながら反省しています。
夕方に息子の奇行はありましたが、目的だったスーパー・ニンテンドー・ワールドで遊べたので、まぁ良かった良かった。
妻子が寝静まってから飲んでいては遅くなるので、コンビニで買い込んできたビールをさっさと飲んで、前夜より早く寝ました。
(続く)
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夏休み大阪旅行2(前編)
http://okuruma.exblog.jp/29663383/
2023-08-12T07:00:00+09:00
2023-08-12T07:01:27+09:00
2023-08-11T16:30:33+09:00
okuruma1970
国内旅行記
4年前の2019年8月にも大阪に行きましたが、Nintendo Switchでマリオのゲームにはまっている息子が、またUSJに行きたいというので、行くことにしました。
自宅近くの駅から京成電鉄に乗りました。
息子は左手を吊っていますが、3日前にサッカーの練習で転んで肘を打って、骨折してしまいました。
が、旅行には行ってもいい、という医者のお墨付きをもらったとのことでした。
向かったのは、成田空港。
千葉県内の自宅からだと、羽田空港も成田空港も、所要時間が大して変わらないのです。
ただ、平日(休日も?)の朝に京成の普通の列車(スカイライナーでない特急も)に乗ると、下り方面でも空港関係者などで激混みで、40分ほど立ちんぼでした。
その隣に、JRの快速電車がガラガラで到着・・・。
京成より20分ほど前に自宅最寄り駅を出たようでしたが、ネット検索だと、高くて時間がかかる行き方はヒットしないんですよねぇ、反省。
息子は飛行機に乗った記憶がなくて(3歳のときに乗っている)、乗りたいというのと、私は行ったことがない関西空港に行ってみたいと思って検索したところ、成田→関空にJetStarの路線があったので、予約したのでした。
国内LCCのうち、SKYMARKとAIR DOはずいぶん前に、StarFlyerは3年ほど前に乗りましたが、JetStarは初めて。
JetStarはLCC用の第3ターミナルを利用しますが、右下の電車の写真が空港第2ビル駅、オレンジの吹出しの先が第3ターミナルにあるJetStarのチェックインカウンターです。
今回、第2〜3ターミナル間のシャトルバスに乗ったのですが、空港第2ビル駅からバス停までの徒歩の青点線、シャトルバスの青破線、バスを降りてから第3ターミル内の徒歩の青点線の経路でした。
一方、徒歩だけで行くと、赤点線の経路でした。
模式図ですが、第2ターミナルのバス停(1番)からJetStarのカウンターまでの距離と、第3ターミナルのバス停(2番)からJetStarのカウンターまでの距離が同じぐらいだと思うので、延々遠回りするバスの分だけ無駄と思いました。
大荷物を持っていたりお年寄りでも、シャトルバスには乗らない方がいいと思います。
(ターミナル図とシャトルバスの写真は成田空港HPから引用)
機内へは、第1・2ターミナルのようなボーディング・ブリッジではなく、タラップで乗り込むタイプで、タラップまでは蛇腹の通路の中を歩いて行きました。
このあたりは、LCC用にコストを削減した第3ターミナルらしい作りでした。
今回、JetStarで大人2人と子供(小学生)1人が成田空港から関西空港まで乗って、総支払額は41,130円でした。
基本運賃: 9,380円×3人=28,140円
オプション:3,000円×3人=9,000円(ちゃっかりPlus)
空港使用料:大人(390円+440円)×2人+子供(190円+220円)×1人=2,070円
(前者は成田空港分、後者は関西空港分)
支払手数料:640円×3人=1,920円(カード決済)
驚いたことに、大人と子供はほぼ同額で、違いは空港使用料だけでした。
またLCCらしく、基本運賃では受託手荷物は有料で、日時の変更は不可ということで、受託手荷物10kg、日時変更可、500円クーポン付という「ちゃっかりPlus」というオプションセットを付けました。
我々のようにLCCに乗り慣れていない乗客は、オプションを付けているので、「500円分のフライトバウチャーがありますので、お飲み物等をお選びください」と言われましたが、そのような声掛けをされていない乗客は、最安値を求めてオプションを付けない、LCCに乗り慣れた人なのでしょう。
500円でいくつかのメニューがありましたが、私は紅茶とマフィン、相方は紅茶とワッフル、息子はジュースとポテトチップのセットを頼みました。
離着陸時間を含めて約1時間半、飛行時間1時間ほどで、大阪湾上の人工島にある関西国際空港に着きました。
本当は大阪らしいものをご当地で食べたかったのですが、12時過ぎでお腹が減ったので、空港内のフードコートで食べました。
関空をリニューアルしている関係でレストランが軒並み休業中のようで、フードコートは大混雑でした。
息子はうどんとネギトロ丼のセット、自分はオムカレーを食べました。
南海特急ラピートで、大阪市内に向かいました。
ラピートに乗るのは、11年前以来の2回目で、前回はラピート乗ってみたさに岸和田から難波まで乗りましたが、今回は本来の空港アクセス特急として利用しました。
隣のJRホームには、JRの空港快速が停まっていました。
乗ったのは、前回と同じスーパーシート。
レギュラーシートは2+2列ですが、スーパーシートは1+2列のゆったり配置。
特急料金は、レギュラーシート520円に対してスーパーシート730円で、乗車時間40分だけということもあり、差額は210円だけです。
ただ、グリーン料金のように子供でも差額は210円なので、子供はレギュラーシート260円に対して、スーパーシートは470円と少々割高です。
本土までの連絡橋は、上段が道路、下段が線路になっていて、JRと南海が同じ線路を共用しています。
これは、JRと南海が同じ軌間1,067mmだからできた技で、一方の成田空港へのアプローチ部は、JRと京成の軌間が異なるので、JR用1,067mmの単線と京成用1,435mmの単線が並列に引かれています。
運転台を覗いてみましたが、広い!
終点、難波駅の一つ手前、新今宮駅でJR大阪環状線に乗り換え、さらに西九条駅でJRゆめ咲線に乗り換えて、ユニバーサルシティ駅へ。
泊まったのは、駅目の前のホテル京阪 ユニバーサル・タワー。
USJのパートナーホテルで、前回泊まったのと同じホテルです。
前回は朝食込み3人で26,400円で泊まれたのに、今回は素泊まり3人2泊で10万円以上と実質2倍以上しました。
部屋は、前回はエクストラベッドを入れたツインルームに対して、今回はリニューアルされたばかりのトリプルルームでしたが、それにしても高かったなぁ。
座り込むと根が生えてしまいそうだったので、荷物だけ置いて、そのままUSJへ。
こういう観光客用に、初日の午後3時から閉園までと2日目の開園から閉園まで使える1.5デイ・スタジオ・パスがあります。
USJは日によってパスの値段が変わりますが、7/28金と29土の1.5デイで、大人15,400円、子供10,000円でした。
でも、よく計算すると、同じ日の1デイ・スタジオ・パスが大人9,500円、子供6,200円、トワイライト・パスが大人6,700円、子供4,300円だったので、別々に買うより大人800円、子供500円安くなるだけでした・・・。
ミニオン・ハチャメチャ・アイスに乗った後、ジョーズへ。
ミニオンのアトラクションは、一見すると並んでなさそうで、実は隠れたところに並ばせていて、暑い屋外で40分以上並びました。
ジョーズの前で食べられる写真を撮る人を横目に列に並びましたが、ほとんど屋根のあるところで、まだましでした。
船に乗って進むアトラクションでしたが、ジョーズがどこから現れるかというドキドキよりも、ガスタンクを間違えてライフルで打って、ボンと爆発した熱気の方がビックリしたような。
身長制限もさることながら、息子が絶叫ものは好きではなく、追い打ちをかけるように腕にギブスをしているので、乗るのは自ずとホンワカ系中心。
モッピーのバルーン・トリップのモッピーって、セサミストリートのキャラクター?
息子の一番の楽しみはスーパー・ニンテンドー・ワールドで遊ぶことでしたが、15時入園ではエリア入場抽選券しか手に入らず、残念ながら抽選にも外れてしまいました。
2日目の朝一に入園して、エリア入場整理券をもらうことにしました。
意外と楽しめたのは、こちらもセサミストリートキャラのエルモのゴーゴー・スケートボード。
前後左右に向きを変えて動くアトラクションでした。
お腹も空いてきたので、夕食を食べにハピネス・カフェへ。
ミニオンズのキャラクターをテーマに、コカコーラが運営するカフェレストランのようで、ドリンクバー付のメニューになっていました。
息子は、ミニオンをモデルにしたバンズのメンチカツサンドのミニオン・バーガープレートをオーダーし、これはドリンクバー付で2,100円でした。
自分は何を食べようと思ってメニューを見ていたら、キッズカレープレート(11歳まで)があったので、息子が食べる体でオーダーして、ビールのつまみに。
キッズプレート1,100円とビール900円で、バーガープレートより安かったです(笑)。
食べ終わると、真っ暗になっていて、各建物がライトアップされていました。
人気アトラクションを除いて、夜になって待ち時間が短くなってきたので、呪術廻戦・ザ・リアル4−Dと前回も乗ったミニオン・ハチャメチャ・ライドを見ました。
最後は、グッズショップで、お土産の下見。
案の定、あれも欲しいこれも欲しいというので、○○円まで買ってあげるから、あとはお小遣いで買うか、もっと選ぶか考えること、ということにしました。
園内には、こういう帽子やカチューシャを付けた人がいっぱいいましたが、いい商売だなぁ。
前回は、USJで遊んだ後、離れた宿まで移動したので19時半頃ゲートを出ましたが、今回、初日は閉園の21時まで6時間ほど楽しみました。
大行列には並ばなかったので、半日でしたが、比較的多くのアトラクションを楽しめました。
また、ときおりゴロゴロ音は聞こえたものの、基本的にいい天気でしたが、日焼け止めを塗っていたので、赤くならずに済みました。
ホテル31階には温泉があり、息子はギブス付でシャワーしか浴びられないので、相方は一人で入りに行きました。
ホテル近くのコンビニで買い込んで帰り、妻子が寝たあと、一人で飲み直しました。
(続く)
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