カテゴリ:洋館探訪記( 65 )

横浜の近代化遺産巡り

10日(日)に、横浜の近代化遺産巡りをしてきました。
金曜日に銀座ライオンに飲みに行った九州からの知人とともに、横浜在住のご夫婦に案内してもらったのでした。

近代化遺産とは、幕末明治から昭和戦前にかけての経済成長をする過程で造られた、産業・都市基盤や商工業施設、軍事設備などを指すようです。
簡単にいうと、ビルや駅、橋や港、工場や基地などで、洋館よりもっと広い範囲です。

関内近辺の三塔や旧銀行などはだいたい見ていましたし、山手の洋館も建物仲間と見て回ったことがあったので、初めて見たのは意外と古い建物や廃墟チックな建物、あとは居留地の遺構などでしょうか。

下の写真は、大桟橋へ向かう道の途中にある建物で、元は港湾関係の事務所だったらしいのですが、今はスキューバダイビングのスクールの事務所(?)になっているようです。
窓の上の色が淡い部分に、波のような紋様が彫られているのがおもしろいです。

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お次は前々から見たいと思っていた、旧根岸競馬場の一等馬見所(観覧席)です。
競馬場自体は幕末に開設されたそうですが、この観覧席は昭和5年の建築。
しかし早くも昭和17年には閉鎖された短命な建物です。3本の塔はエレベーターとか。
現在は公園の一部ですが、崩落の危険から閉鎖され、内部は立入禁止になっています。

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この他にもいろいろ案内していただいたのですが、最後は赤レンガ倉庫。
明治末から大正初期にかけて建てられたそうですが、倉庫にしては立派な建物です。
実は横浜市内にある神奈川県立博物館(旧横浜正金銀行:重要文化財)と同じ妻木頼黄の設計なのです。今はオシャレな飲食店やお店がテナントで入っています。

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ちなみにこの日案内していただいたのは、こちらの管理人さん。
神奈川県内の近代建築に精通している方です。いろいろな建物の保存活動にも参加されているそうで、セミプロといったところでしょうか(お仕事は建築系ではないらしい)。
建物名はもちろんのこと、建築年や設計者がアンチョコ無しでスラスラ出てくるんですよ。
また見たことがあった建物でも、いろいろな経緯を聞くことができました。

その方がお乗りで、この日見て回るので乗せていただいたのは、オリジナルのミニ。
しかも絶妙なカラーリングの特別仕様、ポールスミスでした。
確かに後席の乗り降りはちょっと不便でしたが、4人乗っても加速は十分。
ミニって低速トルクがスゴイあるんですよねぇ(回しても伸びはないんだけど)。
15年ほど前の免許取り立ての頃、欲しくてたまらない車でしたが、今見てもいいです。

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さて車といえば、我がボクスターですが、預けたまま2週間。
とっくにエンジン載せ替えは終わっているのですが、未だ取りに行けてません。
駐車場の屋根の下に、ここは俺の場所だと主張している車があるからか、取りに行かなくちゃと思わないのかも。
でもホントは、再慣らしという現実から逃避してるだけなのかも知れません・・・。
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by okuruma1970 | 2005-07-12 22:31 | 洋館探訪記 | Trackback | Comments(6)

銀座ライオン

昨日8日(金)に、建物つながりの知人が九州から上京してきたので、ビアホールへ行ってきました。

銀座ライオンと聞くと、いわゆるチェーン店の居酒屋をご想像されると思います。
まさにあの系列なのですが、同じ銀座ライオンでも銀座7丁目店のビアホールは違います。

そのビアホールがある建物は、昭和9年に大日本麦酒の本社屋として建てられました。
おそらく建物自体も当時の躯体のままだと思いますが、外観はそのときどきで改装され、現在では周囲のビルに溶け込んでいます。ただ、よく見ると建物の屋上は、塔屋のような装飾がチラッと見えていたりします。
中央通りに面した一等地なので、使い勝手のいいオフィスビルにという話もあったのでしょう、一時建て替えの危機もありましたが、保存活動の甲斐あって現在に至っています。

こちらが、その1階ビアホールです。金曜日なので大混雑です。

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まさにビアホールという、雰囲気たっぷりの空間です。周囲に溶け込んだ無味乾燥なビルの中に、こんなレトロな空間が広がっているとは、想像できないです。
約70年の歴史を持つビアホールは、戦後はGHQに接収されていたそうです。もちろん将校たちのビアホールとして使われていたのでしょう。
このビアホールは、菅原栄蔵という人が設計したものです。菅原栄蔵氏については、こちらの書評が詳しいと思います。

ビアホールの正面奥には、ビールの原料である麦を作る様子を表した、大きなガラスタイル画が目を引きます。
このタイル画の下のカウンターで、ビアサーバーからジョッキにビールを注いでいます。
注ぐ職人さんもいるそうで、やはり注ぐ人でおいしさが違うんだとか。

私は、お酒といえばビールしか飲まない(飲めない)ビール党でして、しかも黒ヱビスが一番のお気に入り。黒ヱビスをこの空間で飲むのは、至福のときですねぇ。
とはいえ、初めはキョロキョロしていても、お酒が進んでしまえば、どこで飲んでもいっしょなんですが・・・。
ビールだけでも、サッポロ生、ヱビス、黒ヱビス、ヱビスのハーフ&ハーフ、エーデルピルス、ギネスといろいろな種類が飲めます。ギネスは飲まなかったなぁ。

銀座とはいえ、お値段はチェーン店価格(こういうところはありがたい)。
安心して入れます。
混んでいると2階ビアレストランに案内されたりしますが、普通の居酒屋のようなので、少し待ってでも1階ビアホールへどうぞ。
銀座ライオン銀座7丁目店ビアホールについては、こちらをご覧ください。

洋館探訪記だったのか、酒場探訪記だったのか・・・。
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by okuruma1970 | 2005-07-09 22:11 | 洋館探訪記 | Trackback | Comments(7)

牛久シャトー

昨日25日土曜日に、牛久シャトーに行ってきました。

シャトー(chateau)とは、infoseekマルチ辞書(by三省堂EXCEED)によると「(フランスの)城、田舎屋敷、大邸宅、ブドウ園」という意味だそうです。
牛久シャトーは、このうちのブドウ園に相当するワイン醸造所で、神谷伝兵衛が明治36年に開設しました。

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時計塔の付いたレンガ造りの本館(上写真)も明治36年の建築で、軽井沢にある旧三笠ホテルと同じ岡田時太郎の設計。
事務所として使われたほか、賓客をもてなす迎賓館的にも使われたようです。
貯蔵庫や醸造場につながる入口のアーチには、「CHATEAU D.KAMIYA」と誇らしげに刻まれています。
この1階左側は喫茶店として使われ、内部の装飾を見ることができるようです。

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写真上の倉庫のような建物は貯蔵庫のようで、現在は神谷伝兵衛資料館として公開されています。
地上2階地下1階建てで、いずれもワインの詰まった樽が並べられていたようで、醸造の度合いとか葡萄の種類によって使い分けられていたのではないかと思います。
資料館は2階、1階と地下はワイン樽を並べて往事を再現しています。
特に地下は真っ暗で、牢獄か?と思うような雰囲気ですが、上屋を支えるための基礎がレンガでアーチ状に組まれ、それはそれで見応えがあります。

ワイン醸造場としては一時生産を中止の後、現在は細々と再現をしている程度ですが、レストランやバーベキュー場、地ビールが飲めるビアレストランや、すき焼きやしゃぶしゃぶなどがいただける和食処もあり、多目的レストランのような施設になっています。
またチャペルも併設され、結婚式も挙げられるようになっています。

さらにここで醸造されているワインや地ビール、世界各国のワインなどを扱うショップや、レストランで供されるパンやデザートを販売するパン屋もあります。
ちなみにこの神谷さん、蜂ブドウ酒やデンキブランで有名な神谷バーを開いたことでも知られていますが、それらの製品も販売されていました。

ちょうど大安ということで結婚式が開かれ、本館の喫茶店は待合室として、ワイン貯蔵庫のレストランは披露宴会場として貸し切りになっていました(涙)。
和食処のお値段はわかりませんが、レストランやバーベキューのお値段は1,000〜2,000円程度と雰囲気の割にはリーズナブルです。

ただし、せっかく行くなら電車で行くことをお勧めします(JR常磐線の牛久駅から徒歩8分)。ワインや地ビールを目の前に、また周りは飲んでいる人が結構多いのに、飲めないのは辛かったです。
牛久シャトー(シャトーカミヤ)のホームページはこちらからどうぞ。

この日の走行距離は約280km。
ボクスターの総走行距離は、2,960kmになりました。
3,000km点検と「エンジンチェックガヒツヨウデス」のチェックをしてもらわねば。
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by okuruma1970 | 2005-06-26 20:28 | 洋館探訪記 | Trackback(1) | Comments(8)

福島市周辺の洋館巡り

このブログは、今のところボクスター関係の方のブログからリンクしていただいているだけなので、洋館探訪記には反応がありませんが、追い追い自分のHP「洋館探訪」からもリンクさせるつもりなので、懲りずに続けます。

同じ日のドライブ記はこちらに書きましたが、自宅を朝4時半に出て外環道と常磐道で茨城県に入りR6で北上、水戸の北の常陸太田市からR349で丘陵地帯を抜けて福島県へ。

まずは福島市のお隣、保原町にある旧亀岡家住宅を見学。この建物は、このあたりの豪農であった亀岡家の住宅で、明治30年頃に建てられたそうです。
外観は明治築の擬洋風(本格的な洋館ではなくて洋館に似せてある)ですが、内部は1室を除いて全て畳の間でした。明治期の豪農宅だと、やはり和室の方が使い勝手が良かったのでしょうね。
ちなみに賓客が良く来る豪商邸だと、応接用の洋館に居住用の和館を併設という形か、1階は洋間で2階(の一部または全部)が和室というパターンが多いように思います。

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和室中心の内部は、豪農らしく欅や杉などの銘木がふんだんに使われ、普通の和室としてみても豪華さを感じます。また床の間や欄間の装飾も手が込んでいましたが、個人的には居間の格天井の重厚さにスゴイと思いました。
なお、炊事場は洋館裏に連なっている土間の平屋にありました。
元々はお隣の桑折町に建っていたそうですが、(なぜか?)保原町に寄贈され、平成7年に保原町総合公園内に移築されました。現在は保原町歴史文化資料館の一部として公開されています。

お隣り桑折町には旧伊達郡役所という役所建築が残っているのですが、改修中で覆いが被っていました(涙)。というわけで、福島市内へ。
写真は福島桜の聖母学院というキリスト教系の学園施設というか、その母体となっているコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の建物のようです。
昭和10年の建築なので、世の趨勢もシンプルな傾向にありましたが、修道院ということもあって装飾は少なめです。屋根窓や中央部の柱状の装飾などが控えめに見られます。

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福島市内はキリスト教が盛んだったのか、洋館の施設が多く残っているだけなのかわかりませんが、あとの2つも教会でした。福島新町教会と福島教会(写真)は、いずれもW.M.ヴォーリズの設計。
ヴォーリズの建物は日本各地に残っていて、多くの人に愛されていますが、煙突を見ると多分ヴォーリズだろうなぁ、となんとなくわかります。
写真のレンガの教会は明治42年の建築だそうで、以前の写真を見るとツタが絡まっていましたが、改修されたのか、レンガはきれい目でした。

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遠くまで(往復600kmのつもりが750km)来たのですが、見たのは4件のみ。
歯抜けエリアを埋めているので、効率的ではないですね。
帰りはR4を南下、須賀川市からR118とR294を中心に走って、土浦から常磐道、首都高で帰宅。帰り着いたのは9時半頃でした。

今回もボクスターの慣らしを兼ねていましたが、やはり遠出の洋館探訪は、306の方が楽でいいような気がしました。
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by okuruma1970 | 2005-06-11 13:40 | 洋館探訪記 | Trackback | Comments(6)
昨日は、長野県上田市と新潟県上越市の洋館を見てきました。

うちを出たのは朝4時半。
練馬〜花園は関越道で、あとはR254で佐久へ抜け、上田に着いたのは8時半。
市役所そばのコインパーキングに停めて、徒歩でテレテレと。
写真はアップしていませんが、市役所そばにあるのは、上田新参町教会、梅花幼稚園、石井鶴三美術館、上小教育会館の4件。

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それからちょっと離れた信州大学繊維学部のキャンパスへ移動。
上の写真が同校講堂で昭和4年の建築ですが、明治時代に建てられたような風格です。
その他にも戦前築らしい建物が数棟ありましたが、朽ちかけの感じで、まともそうなのは本当の明治築らしい守衛所ぐらいでした。
その近くには、大正築の旧上田蚕種会社の建物もあります。

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そして郊外の丘陵地リサーチパークに、上の写真の旧宣教師館があります。
市役所そばの梅花幼稚園に隣接して建てられ、上田新参町教会の宣教師の住まいだったようですが、平成6年に市が譲り受けて移築したそうです。
市担当者の女性が大事に管理されているおかげで、とてもキレイです。
コーヒーをごちそうになりながらお話を伺いましたが、市の予算がないらしく、半ば手弁当で管理されているとか。

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坂城〜信州中野は上信越道で、あとはR18で日本海岸の新潟県上越市へ。
上の写真の旧師団長官舎は明治築の洋館です。ステンドグラス代わりらしい塗色ガラスは剥がれかけていましたが、天井の漆喰細工はキレイでした。
1階が応接室や食堂の洋室と台所など、2階は家族が暮らす和室で、和館併設なしで暮らしていたのですね。
海外での生活経験もある陸軍技手の設計とのことです。

そのまま帰ればいいのに、北陸道を突っ走って富山市まで足を伸ばし、高芳というお店のますの寿司も食べてきました。

帰りはR41で南下して安房トンネルを抜け、松本からはR19・R20で東へ東へ。最後は中央道で相模湖〜高井戸を走って、深夜1時に帰着。
約1/3は高速に乗りましたが、800kmほど走ってきました。

ちなみに、同じ日のドライブ記はこちらです。
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by okuruma1970 | 2005-05-29 21:36 | 洋館探訪記 | Trackback | Comments(0)

Peugeot306CabrioletとPorscheBoxster987のオープンカー2台生活だったのがBoxsterを手放したので本当は1台だけ、といいつつただの旅日記かも


by okuruma1970